12月19日
2000年1月2日

「いのちのパン」

ルカによる福音書9:10-17


ガリラヤの春、青草広がる丘で、主イエスは一日中神の国について話されたり、病

気の人を癒されたりしています。飼うもののない羊のような有様の群衆を主はあわ

れんでそのようにされたのでした。

「群衆を解散させてください。そうすれば回りの村や里に行って宿をとり、食べ物

を見つけるでしょう。」12弟子は主イエスの時にこのように介入しています。彼

らは主に遣わされて神の国の福音をのべ伝え、悪霊を追い出し、病人を癒す福音宣

教者の働きをし帰ってきました。だから、彼らは知っていたのです。神の国の話し

も癒しも、日常生活のなかの一つの出来事であるに過ぎないことを。日は昇り、日

は沈む。食べ、働き、眠る、この日常の中での一つの変わった出来事であるに過ぎ

ない福音を聞くこと、礼拝すること・・・。宣教のために遣わされ、そこで生きて

きた故に宣教という出来事がおかれている時間の構造を理解しました。その限界を

知っています。だから、主の時に介入しているのです。

 しかし、主イエスは弟子たちとは全く違う方向に群衆と弟子たちを導かれます。

「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」このことばは弟子たちを、そして代

々の教会を一挙に危機に陥れます。わたしたちは理由を並べ立てて、このような危

機を回避しようとしますが、結局それは、わたしたちには充分な持ち合わせがない

ということに尽きるでしょう。弟子たちが主に語ったように。しかし、「あなた方

が・・・与えなさい」と命じられる主は、弟子たちを孤立させ、無力感に陥れ、挫

折させるためにそのように命じられるのではありません。弟子たちを遣わされる主

は、ご自分のうちにあるものを伝え、ご自分の持っている力を弟子たちに与えられ

ます。弟子たちは主イエスの手のうちにあるものからとって、それを人々のところ

に持ち運べばよいのです。この場合5つのパンと2匹の魚は弟子たちのものでした。

主はそれをお用いになって、祝福を祈りつつ男だけでも5000人の人を養われて

あまりが出るのです。

 この不思議の出来事は、人間の危機に即して主が救助の手をさしのべた奇跡とは

性質が違います。群衆を解散させれば済むことです。「あなた方の手で食べるもの

をあげなさい」という主のことばは、主の一方的な思いから出たものです。主のあ

われみが生み出した奇跡です。神の国の福音は日常生活の一部なのではありません。

その全体が、食べることも着ることも飲むことも、すべてを養ってくださる主の思

い、これを知ることなのです。


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