ルカによる福音書9:49-62
ルカによる福音書は、9:51〜18:14の間は、マルコによる福音書の配列 から大きく離れて、主イエスの言葉や歩み、それをめぐる人々を伝えます。ルカに よる福音書の特徴がよく現れているブロックです。 「先生、お名前を使って悪霊を追い出しているのを見ましたが、わたしたちと一 緒にあなたに従わないのでやめさせました。」ヨハネは人間の権利と教えの正統性 についての感覚が敏感です。正しく向き合う関係ではないのに、勝手に主の名を使 って悪霊を追い出している。どういう動機によるものかわかりませんが、そのよう な勝手な行動を許していては、主の名がみだりに使われることになり、それが正し いものをグレイにしてしまう混乱の元になります。ところが、「わたしたちと一緒 について来ないのでやめさせました」という、ヨハネの正当に見える秩序の感覚は、 主イエスによって抑えられています。「あなた方に逆らわない者は、あなた方の味 方なのである」と。主イエスの十字架に向かう道は、自分の名の正統性を守る共同 体を確立するよりも、もっと謙虚に他者の働きを受け入れます。見当違いの思惑に よる協力も、仲間の働きとして受け入れ、そのために自分を引き渡し罪を引き受け る心の寛い道です。 次のサマリア人のかたくなな心に対する主の受け止め方も不思議です。だれも主 イエスの一行を歓迎せず、道も通らせようとしないので、「雷の子」ヨハネとヤコ ブは「主よ、お望みなら天から火を降らせて彼らを焼き滅ぼしましょうか」と怒り ます。それに対して主は激しく叱られたというのです。主イエスの純粋さ、深さ、 高さが明らかであればあるほど、また、主イエスのサマリア人に対してきた愛と和 解を求める心がわかればわかるほど、サマリア人の冷たく無礼な仕打ちに怒りを覚 えるのは当然です。迫害される宗教共同体はこの種の怒りには寛大であるばかりで なく、すぐに共感の輪が広がり、共同体全体の怒りになって、宗教戦争が展開され るのです。主イエスは、ここで、「雷の子」らを叱り、穏やかに別の道を選ばれま す。これも主の十字架の道です。自分の正義と誇りと信仰を守るための十字軍の旅 とは違うのです。柔和なへりくだった歩み、罪の許しを得させる歩みです。この旅 の同伴者となる主イエスの弟子の歩みは、安易なものではありません。「人の子は 枕するところもない」と語られる状況を知りつつも、後ろを振り返らないで、「あ なたは、わたしに従ってきなさい」という声を聞きつつ歩む歩みです。