2月6日
2000年2月6日

「平和を告げるもの」

ルカによる福音書10:1-12


 興味深いことに、ルカによる福音書だけが主イエスの生涯のなかで二度にわたっ

て弟子たちを福音の宣教のために遣わされたことを記しています。この72人の宣

教はその時期と目的が独特の性格を持っています。「これから主イエスが行こうと

されるすべての町と場所に遣わされた」のです。主イエスがいけないところにイエ

スの言葉と権威を授けて遣わされるものではないし、また、主イエスがとどまって

派遣した弟子たちの帰りを待つものでもありません。十字架に向かって、多くの人

の罪の購いのためにご自分の命を引き渡すことに向かって進まれる主イエスに先だ

って、「主がまもなくあなた方の所に来られます」と伝える働きです。それはまさ

に「平和のおとずれ」、すべてのものが神によって造られた本来の姿を回復するシ

ャロームの中心に立つ人がまもなく来るという知らせです。

 72人を遣わすにあたって、主イエスは不思議な言葉を語っています。「収穫は

多いが、働き手は少ない。だから、収穫のために働き手を送って下さるように収穫

の主に願いなさい。」ここで、収穫というのは何を言い、また働き手とは誰のこと

でしょう。収穫とは宣教によって獲得する信者の数、働き手というのは伝道のため

に遣わす奉仕者と解釈するのは、皮相に過ぎるでしょう。むしろ、「収穫」と「働

き手」の関係を深くしるためにはヨハネ4:36〜38を鍵に用いて考えるとよく

わかります。そこでは、神の国で種をまき刈り取る場合の独特の関係が語られてい

ます。そこで収穫するのは、十字架にいたる主イエスの歩み、その生と死がもたら

すもの、主イエスが蒔きその実りとして刈り取るべきもの、罪の赦しと永遠の命で

す。「収穫は多い」と主が語られるのは当然です。主の流された血、裂かれた肉は、

今に至るまで多くの実りをもたらしています。この収穫のために働く「働き手」は、

「他の人が苦労し、別の人が刈り入れる」よう働く人、「種を蒔く人も刈り取る人

も、喜ぶ」というような働き手、すなわち一方的に主の恵みによって主イエスが蒔

いてくださった実りをいただくもの、すなわちキリストのものとされる人たちです。

このような働き手を得るために主イエスは72人を遣わされます。福音の伝道のた

めに遣わされる人たちは「収穫の主に願って、多くの働き手を送ってくださるよう

に」このような恵みにあずかる人を「収穫の主が送ってくださるように祈りながら、

主がまもなくあなたがたのところにこられますよ」と伝えつつ走るのです。


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