ルカによる福音書10:13-24
72人お弟子の派遣に続いて、主イエスの「わざわいだ」と嘆きと、喜びをもっ て帰ってきた弟子たち、そしてそれを喜ぶ主イエスと、悲しみと喜びが激しく交差 しています。 コラジン、ベトサイダ、カファルナウム、この三つの町について「あなたは、不 幸だ」と嘆き悲しんでいます。ガリラヤ湖畔の小さな町々、ペテロの町、ヤコブの 町、主イエスが自分の町の会堂で話しをするのを聞き、五千人の給食のときには、 主の手からパンの一切れを口にした人々、主の福音から遠い人々ではなく、最も近 いところにいた人々について、「お前たちのところで行われた力ある業がツロやシ ドンで行われていたら、これらの町はとうに粗布を身にまとい、灰の中に坐って悔 い改めていたであろう」と嘆かれるのです。主イエスの神の国の到来を告げる宣教 の結果は、新しい神の支配が広がって行くのを見たのではなく、受け入れることな く、かたくなに自分の誇りの中に留まり続ける現実でした。神の国の福音は深い悔 い改めと立ち帰りをもたらすのではまりません。主イエスご自身の宣教でさえ、そ のような結果なのです。昨日の悲しみはまた明日も繰り返されます。そのような町 を後に残して、主は十字架に向かって進んで行かれ、何の変革も起こすことのない ような町に向かって、弟子たちを宣教に遣わされます。反応の大きさによって真理 を変えるのではなく派遣した方の言葉だけを忠実に伝えるように。すべての伝道者 よ!覚悟せよ。 結果は、失望か?否、「72人は喜んで帰ってきてこう言った。『主よ、お名前 を使うと、悪霊さえもわたしたちに屈服します。』」主イエスと共に来る神の国を 告げ知らせるものは、なにかの手応えを感じて帰ってきています。主イエスの名の 権威と力が、奥深いところで動いているのを感じ取っています。「わたしは、サタ ンが稲妻のように転から落ちるのを見ていた。」サタンが天から落ちるのは、これ に先行する闘いが天で行われているからです。そしてその決着は付いたことを現し ています。弟子たちの現実の闘いは敗北と挫折、無力な弱々しい働きに過ぎなくて も、その働きそのものが「楽園の扉は開かれ、あがなわれた人々の名が命の書に記 される」新しい時の始まりを告げる。これらのことは賢いものや知恵のあるものに ではなく。幼子のようなものに現される。このように小さいものに現される神の国 のはじまり、主イエスはこのことを「これはまことに御心に適ったことです」と激 しく喜んでおられるのです。