3月19日
2000年3月19日

「神の指をもって」

ルカによる福音書11:14-23


 おしの霊に憑かれた人を主イエスは癒され、群衆はその働きに驚嘆した。主イエ

スの奇跡の物語が描かれています。しかし、これはただ奇跡と群衆の飯能を伝えて

いるだけでなく、そこで起こった目に見えない部分のことをどのように見るかが語

られています。一つの出来事は見える部分と見えない部分があります。出来事その

ものと、それが意味するもの、解釈、は表裏一体です。しかし、主イエスの出来事

の見えないものを正しく見ることができるかが問題です。

 イエスの働きについて、驚嘆して神をたたえる者だけでなく、「あの男は悪霊の

頭ベルゼブルの力で悪霊を追い出している」という者や、天からのしるしを求める

者がいたというのです。人の心の暗闇に奥深く入っていって、閉ざされている生命

的なものを牢獄の中から自由の世界へと解き放つ、まさに救い主の働きは、違う目

から見れば、単に興味本位の見せ物ですし、悪意に満ちた中傷の対象です。神の国

の開始を告げる出来事が、ある人々にとっては、悪霊の頭の働きに見えます。わた

したちは、まさにこのような世界に生きています。わたしたちの信仰も、このよう

な解釈の海の中にただよっています。肉によって主を知るのではなく、霊によって

主イエスを知るのでなければならないというパウロの言葉を思い起こします。見え

ないものを見るためには、主の霊によって新しく生まれるのでなければなりません。

 主イエスがここでたとえをもって語られたことは、謎のような響きを持っていま

すが、そこで、神の国の働きは、見えない世界においても闘いの世界であることを

教えているようです。サタンの国も内輪もめしyて争っているほどヤワな世界では

ありません。主の働きは、このサタンの国、悪霊の支配に対する闘いです。主イエ

スの生涯全体が罪と世との闘いです。一人の障碍者を癒しという目に見える行為は、

神の指をもって悪霊を追い出しているという、目に見えないところで展開している

大きな出来事の一つのしるしです。そして、この小さな世界の片隅の小さな出来事

が、大きな「神の国はあなたたちのところに来ている」という出来事をあらわして

います。み言葉によって示される主の働きをわたしたちはどのように見ているでし

ょう。わたしたちが今ここで礼拝していること事態も、見えない悪霊の支配する世

界との闘いの現実の中で、神の指の働きが実現していることと見ることが出来るな

ら、それは新しく生まれたもののまなざしが開かれたことを意味するでしょう。


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