3月26日
2000年3月26日

「ヨナにまさるもの、ソロモンにまさるもの」

ルカによる福音書11:24-32


主イエスは不思議なことに群衆に向かって語られました。「今の時代は悪い時代だ」

というのです。そして、「しるしをほしがるが、ヨナのしるしのほかにはしるしは

与えられない」と。そのような洞察の深みについて行くことはなかなか難しいこと

です。21世紀を前にして、この時代はどうなのでしょう。

 しるしをほしがる群衆。イエスがメシアであることの証拠を見せるように求め、

神の存在を明示するような証拠を、神の国が現に目の前に展開していることを示す

奇跡を見せるようにと求める・・・。わたしたちの信仰は、見えない神を信じるこ

とですから、見えないことが見えるようになるためにしるしを必要とします。祈り

が聞かれているというしるしを。子どもを育てるとき、成長のしるしを見て喜び、

悪い兆候を見て悲しみます。しるしを求めてやまない心は、主イエスの時代も、そ

し今も変わりありません。

 主イエスは、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」というのです。

これが難問です。「ヨナのしるし」とは何か。預言者ヨナは、アッシリアの首都ニ

ネベの悪がはなはだしく大きくなったので、ニネベに行くように神から言われたの

ですが、逃げ出してタルシシに行こうとして船出して、大嵐に遭い、海に放り込ま

れて大魚に呑まれ、三日三晩を悔い改めの中で過ごしたのでした。しかし、これは

ニネベの人に対するしるしではありません。ヨナは大魚から吐き出されて、再びニ

ネベに行くように命じられて、「40日したら大いなる美也子は滅びる」とニネベ

の人々に告げると、ニネベの人々は王から家畜に至るまで、粗布を身にまとって悔

い改めたのでした。ここで、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったのは、ヨ

ナのした奇跡的な経験や出来事ではなく、ヨナの存在と言葉全体が、神から遣わさ

れたものとして、神の存在と生きた意志をあらわすものとなったことです。そこで、

人の子、主イエスもまたその死と生の全体が、個々の奇跡や出来事だけでなく、復

活に至る生涯全体が「しるし」となって、神の存在を明らかにしていると考えるこ

とができます。

 そうであれば、ヨナの唐突な言葉によって神に立ち返ったニネベの人々、ソロモ

ンの知恵を聞きにはるばる尋ねて来た神を讃美した南の女王が、今の時代の人々を

裁くのは理解できます。ヨナにまさるしるし、ソロモンにまさるしるしが示されて

いるのに立ち返って悔い改めることも、神を讃美することもしないからです。


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