ルカによる福音書11:24-32
主イエスは不思議なことに群衆に向かって語られました。「今の時代は悪い時代だ」 というのです。そして、「しるしをほしがるが、ヨナのしるしのほかにはしるしは 与えられない」と。そのような洞察の深みについて行くことはなかなか難しいこと です。21世紀を前にして、この時代はどうなのでしょう。 しるしをほしがる群衆。イエスがメシアであることの証拠を見せるように求め、 神の存在を明示するような証拠を、神の国が現に目の前に展開していることを示す 奇跡を見せるようにと求める・・・。わたしたちの信仰は、見えない神を信じるこ とですから、見えないことが見えるようになるためにしるしを必要とします。祈り が聞かれているというしるしを。子どもを育てるとき、成長のしるしを見て喜び、 悪い兆候を見て悲しみます。しるしを求めてやまない心は、主イエスの時代も、そ し今も変わりありません。 主イエスは、「ヨナのしるしのほかには、しるしは与えられない」というのです。 これが難問です。「ヨナのしるし」とは何か。預言者ヨナは、アッシリアの首都ニ ネベの悪がはなはだしく大きくなったので、ニネベに行くように神から言われたの ですが、逃げ出してタルシシに行こうとして船出して、大嵐に遭い、海に放り込ま れて大魚に呑まれ、三日三晩を悔い改めの中で過ごしたのでした。しかし、これは ニネベの人に対するしるしではありません。ヨナは大魚から吐き出されて、再びニ ネベに行くように命じられて、「40日したら大いなる美也子は滅びる」とニネベ の人々に告げると、ニネベの人々は王から家畜に至るまで、粗布を身にまとって悔 い改めたのでした。ここで、ヨナがニネベの人々に対してしるしとなったのは、ヨ ナのした奇跡的な経験や出来事ではなく、ヨナの存在と言葉全体が、神から遣わさ れたものとして、神の存在と生きた意志をあらわすものとなったことです。そこで、 人の子、主イエスもまたその死と生の全体が、個々の奇跡や出来事だけでなく、復 活に至る生涯全体が「しるし」となって、神の存在を明らかにしていると考えるこ とができます。 そうであれば、ヨナの唐突な言葉によって神に立ち返ったニネベの人々、ソロモ ンの知恵を聞きにはるばる尋ねて来た神を讃美した南の女王が、今の時代の人々を 裁くのは理解できます。ヨナにまさるしるし、ソロモンにまさるしるしが示されて いるのに立ち返って悔い改めることも、神を讃美することもしないからです。