5月14日
2000年5月14日

「恐れるな、小さな群れよ」

ルカによる福音書12:22-34


 主イエスの「野の百合、空の鳥」の説教は、ルカでは弟子たちへの教えとして語

られています。何を食べようか、何を着ようかと思い悩むのは、貧しい社会の特徴

ではなく、まさに、豊かな社会においていよいよ深刻です。2000年の母の日、

未曾有の豊かさを享受している国々の母親たちが経験している悩みと不安はどれほ

ど深いことでしょう。子どもたちは何を食べ、何を着ることによって、このように

荒廃しているのでしょう。主イエスの弟子であるものは、何を食べ、何を着るべき

なのでしょうか。

 主イエスは、思わぬ手近さで、その解決はあるといいます。わたしたちと一緒に

この地球上にいる空を飛んでいる鳥と野の百合をよく見て、そこから学ぶことで充

分だと主は言われます。鳥はどのように生きているか、野の百合はどのように装っ

ているか。キイ・ワードは、「神は養っていてくださる」「神はこのように装って

くださる」です。人間が持っている、食べ、装うことの最も肝心の部分は人間の思

い煩いによって支えられているかということです。鳥や野の百合と同じように、「

神が養ってくださる」ということにあると言うことを、わたしたちは弁えているで

しょうか。

 この当たり前のことを忘れて、本末転倒に陥っている様、これを主イエスは、「

信仰の薄い者達よ」と呼びます。知恵のないもの、思慮の浅いものではありません。

ここでの「信仰」は天の父に対する深い信頼と感謝、ゆだねる気持などを含みます

が、また物事の本質を見抜いて、自分の分を弁えていることも意味します。信仰の

薄いもの、まさにこれが現代を覆う最も深刻な病でしょう。

 「むしろ、神の国を求めなさい。恐れるな、小さい群れよ。あなたがたの父は喜

んで神の国をくださる。」光に導き出されたものは、そこで留まってはなりません。

与えられた命が十分に生きるためにも、輝かしく装われるためにも、本当に真剣に

捜し求め、悩み、獲得しなければならないものがあります。それが、「神の国」で

す。自分の国を求めるのではありません。主イエス・キリストによって赦し、贖い、

和解する神の恵みに満ちた支配の領域が、そこにも、ここにも広がって行くように

求めること。御霊のもたらす実が、「愛、喜び、平和、寛容、新設、善意、誠実、

柔和、節制」であれば、わたしたちの生活の中にもこれらの実りがもたらされるよ

うに努めることです。わたしたちの命の養いは、それらのものを食べることによっ

て、体の装いは、それらの実りによって装われるように、主のとりなしを求めるこ

とです。


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