ルカによる福音書12:54-13:5
「偽善者よ、このように空や地の模様を見分けることを知っているのに、どうして いまの時を見分けることを知らないのか」 「あなたがたは何が正しいかをどうして判断しないのか。あなた方を訴える人と一 緒に役人のところに行くときには、途中でその人と仲直りするように努めなさい」 「あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びる」 ここには、主イエス・キリストの鋭い警告のことばが続いていますが、これらの 言葉はみな、この世界の中で、生きている状況を映し出しています。 ここで起こっていること、いまのとき生きて動いている現実は、主イエスの目に は将来起こるべきことの予兆です。だから見分けなければなりません。自分の正し さの中にこもっているだけの人は「偽善者」です。また、不正な世界の中で闘いの 中にある教会は、信用できない支配者や不正義な隣人との間で、妥協的な仲直りを してでも、それを正しいことと判断して生き抜いて行かねばなりません。将来起こ るべきことを知っているからです。さらにガリラヤ人がピラトのもとで災難に遭っ たこと、エルサレムの人々がシロアムの塔が倒れて14人も死んだこと、これらは、 被害にあった人々が特別に罪深い者だったからではなく、あなた方の悔い改めの機 会を提供するためです。 これらの断片的なことばが共通して方っていることがあります。今の時の出来事 が、すべて終わりの時の予兆として、神の時を映し出しているのです。現在起こっ ていることは神の時として見分けなければならない大切なときです。いま、その時 のしるしによって、悔い改めなければならない、即ち、生き方を変えて、神に立ち 帰らなければならないときだというのです。一つの事件、何かの災害をを見て、時 のしるしと判断し、それを全体への警告、警鐘と受け取るのは賢明な生き方でしょ う。しかし主イエスのことばには、独特のものがあります。悔い改めが必要です。 ただ現実的に対処すればそれでよいということではなく、生き方を変えて神に立ち 帰るのでなければ滅びるのです。 わたしたちの教会は一つの完成の時を迎えています。しかし、これは将来の時、 神の時から見ればどのような時なのでしょうか。完成は喜びの時だから、悔い改め などは無縁だと言うことはできないでしょう。やはり、いつも本来立つべきところ に立ち帰っていること、主の時の到来にいつも備えておくことが必要でしょう。