6月11日
2000年6月11日

「すくいの日を待っておられる主」

ルカによる福音書13:7-17


 2000年のペンテコステ、聖霊の降臨を記念する日、子どもとの合同礼拝の日。

聖霊はじっと動かないでわたしたちを見守っているのではありません。生きて働き、

わたしたちを結び合わせ、一つのものにしてくださいます。子ども大人、男と女を

一つに合わせ、共に祈り讃美するようにしてくださいます。みんな思いを合わせて

教会を建てさせてくださいます。今日からイザベラ・ハーンズ先生が教会と幼稚園

の働きに加わってくださいます。このように東の人と西の人と、主イエス・キリス

トにあって一つの目的に向かって結びつけてくださいます。聖霊の働かれるところ

では、主イエス・キリストがいつでも覚えられ、その働きを映し出して、そこにわ

たしたちを合わせてくださいます。

 今日、わたしたちに与えられた聖書の言葉は、安息日の会堂で18年間も体が曲

がったままで過ごしていた人を癒されたイエス・キリストについてです。主の目は

たくさんの人のいる安息日の会堂の中で、誰よりもこの女性に注がれました。この

人を呼び出されます。そして手をおいて体をまっすぐにできるようにしています。

地面だけを見て過ごすのではなく、人と向かい合い、天を仰いで生きることができ

るようにされたのです。

 しかし、問題はここからです。会堂長がみんなに向かって、「安息日に癒しをす

るようなことをしてはならない。この日は主の安息日だから、何の働きもしてはな

らない。6日の間に働きなさい」と怒って言ったのです。とても真面目な、神さま

の戒めを守り、自分の町の会堂を深く愛している人であることは、この怒りによっ

て分かります。安息日は安息日としてよく守ることが命に至る道だと堅く信じてい

るのです。そのように信じることと、18年間からだが曲がったままで過ごしてい

る女性の苦しみは全く結びつきません。しかし、主イエス・キリストの目は別のと

ころを見ています。主イエスは安息日が本当に安息日にならなければならないと見

ています。誰にとっても、神が天と地をつくられた日のように、すべてのものは「

はなはだよかった」という状態を回復するのでなければなりません。イスラエルが

奴隷の家から解放された日のように、すべての民が安息にあずかる日まで、本当の

安息日は来ていないことを知って、いま、ここで、一人の女性に安息をもたらして

いるのです。わたしたちを一つに結び合わせてくださった聖霊は、この主イエス・

キリストをわたしたちのこの礼拝にももたらしてくださったことを覚えましょう。



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