ルカによる福音書13:18-30
からし種のたとえ、パン種のたとえ、狭い戸口のたとえと、三つの主イエスのた とえ話しが伝えられています。それらは二つの問い、「神の国は何に似ているか?」 「救われる者は少ないのか?」によって導かれています。主の祈りをいつも祈って いるわたしたちにとってこれらの問いは遠いものではありませんが、この度の選挙 では、「21世紀のこの国の形」という言葉が目に付きました。国会議員を選ぶと いうことは、そのような問いと向き合って決断をすることです。「神の国は何に似 ているか」という問いは、このような問いと似ています。 主イエスが伝える神の国の形は多くの人が考える形と違っています。それは「か らし種」のようだ、「パン種」のようだ、といわれるのです。両者に共通している のは、1.小さなもの、わずかなものが大きく成長するということ、2.その成長 はわたしたちの創造をはるかに超えるものであること、3.何故にそのような大き な成長が起こるのかについてわたしたちの目には隠されていることです。それは「 抵抗することもあらがうこともできない強烈な生命力」によって導かれています。 キリストによってはじまっている神の国は、そのようなはじめをもっているとする なら、いまわたしたちはどのように主の祈りを祈るべきでしょうか。どのように御 国を望み見、祈っているのでしょう。 小ささ、貧しさ、とるに足らない無価値な存在がそのように成長するあらがいが たい力を持っているとしても、それは誰にでも与えられている力であるのかと思い をめぐらすときに、「救われる者は少ないのですか」という次の問が起こります。 救いはごく少数の者にだけ与えられている、特別な賜物か。主イエスの答えは「入 ろうとしても、入れない人が多い」です。だから、「狭い戸口から入るように努め なさい」と促されます。よく注意してください。このたとえで示される戸口の狭さ は、物理的な狭さではありません。時間的な狭さです。主人が戸を閉めてしまう時 間を外したら、入れなくなってしまうのです。自分の設定した時間や方法によって 戸口を入ろうとしても、それは閉ざされているのです。神の国は驚くほどの成長力 をもってわたしたちの中で働きます。従って、そこに至る道は、わたしたちが設定 したとき、わたしたちの考えるような幸福の枠組み、わたしたちにとって好ましい 方法などによって築かれているのではありません。主ご自身が備えてくださるので す。自己中心の信仰には、戸が閉ざされているのです。