ルカによる福音書16:1-12
主イエスのたとえ話、「不正な管理人と主人」は、実に風変わりな二人の人物が 登場します。一人は主人の財産を預かる管理人で、この人は怠惰で杜撰な管理のこ とが発覚してリストラに遭遇したとき、大胆な発想で聞きを乗り越えようとしまし た。主人の負債のある者を呼んで大幅に棒引きする借用証書き換えさせたのです。 これを知った金持ちの主人、これも変わっています。管理人の不正を知ったとき、 背任と横領のかどで告訴したのではないのです。金持ちの主人は「この世の子」の 生き方を通して「光の子」の生き方を学ぶことの方に深い関心があって、自分の財 産のゆくえには慣用です。この二人は、とても風変わりですが、しかし、現実に人 間はときどきこういう人に出会うことがある、その奇妙な行動を通して神の前にあ る人生の奥行きを知ることができると、主イエスは教えておられます。 主人がほめた「不正な管理人の抜け目のないやり方」とは、どのようなことであ ったでしょう。何が不正で、何が抜け目のないことなのでしょう。この管理人の賢 さは、純粋な愛からでた行為として負債を棒引きしたのではありません。打算です。 自己保身の行為です。しかし、この人は、本当に効果のある愛の行為、確実な報い をもたらす喜びは、相手にとって何であるかをよく考えて、それを実行しています。 それが抜け目のないことなのです。もしこれが自分の財産であったら、不正ではあ りません。この金持ちの主人は、管理人の不正の部分には目をつぶって、賢い部分 に目を止めて、「この世の子らは光の子よりも賢い」といい、ここから主イエスの 言葉、「不正にまみれた富で友だちを作りなさい。そうしておけば、金がなくなっ たときあなた方は永遠の住まいに迎え入れてもらえる」が続きます。この生き方は 永遠の住まいを確保する生き方だというのです。 これは驚くべき実際的・現実的な愛の実践の勧めです。天の父と主イエスの純粋 な愛を知って生きる「光の子」、主イエスの弟子たち、あるいはキリスト者が陥る であろう閉鎖的な、自分を反省するだけで何も実行しようとしない愛にたいして、 大きく風穴をあける勧めです。自分の中に持っている資産が、誰のものか仁尾かい まなく、とにかく、自己保存のためであれなんであれ、本当に相手が喜び、実効性 のある行為は何かと考えてそれを行うことを進めるのですから。