ルカによる福音書18:18-30
ここに二つのよく知られた出来事が記されています。主イエスは「子どもたちを わたしのところに来させなさい。妨げてはならない」と語られました。これは、子 どもたちも一個の人格を持つ存在であると認めて、このように命じておられるので はありません。また子どもは独特のやわらぎとなごやかさを与えるから重要な働き をしていると認めているのでもありません。「神の国は、このような者たちの国、 ・・・子どものように神の国を受け入れるのでなければ、決してそこにはいること はできない」といわれるのです。子どもこそ、わたしたちの模範、しかも、神の国 にはいるという究極の事態における模範だと教えられます。 次の話も、神の国に関わることです。ある議員が「善い先生、何をすれば永遠の 命を受け継ぐことができるでしょうか」と問うています。「永遠の命を受け継ぐ」 ということばは、すぐ後で主イエスが「神の国にはいる」という言葉に言い換えら れていますから同じ内容のことを示しています。子どもにとってはあんなに簡単で あった神の国を受け入れることは、この青年政治家にとっては困難な課題です。場 当たり的でない、刹那的でない命を受け継ぐような政治・経済・社会・教育・福祉 について、また国の宗教政策について真面目に考える政治家、このような議員はめ ったにいません。主イエスの答えは、まことにわたしたちの意表を衝くものです。 姦淫するな、殺すな、父母を敬え、などの十戒の第二の板の部分を、「そういうこ とは子どもの時から守っていました」というこの青年に向かって、「持っている物 をすべて売り払い、貧しい人に分けてやりなさい。・・・それからわたしに従って きなさい」ということでした。主は律法の第二の板、隣人愛の部分を守っていると いうこの人に、では第一の板の戒め、神を愛することについても、これを守りなさ いと語らずに、持っている物を売り払ってわたしに従えと語られます。子どものよ うに生きることを求めておられるのです。自分の持っている物と神からの物を会わ せて一つの物にするという生き方を捨てよというのです。 もし、この青年が主のもとに留まり、十字架と復活に立ち会い、自分の持ってい る物をすべて与え、父に従っているのは、主イエスご自身であり、人に求めている のではないと知ったなら、どうでしょう。神の国は近づいていることを知るでしょ う。