12月10日
2000年12月10日

「神殿を清める権威を持つ者」

ルカによる福音書19:45-20:8


 

 主イエスの宮清めの出来事、その結果、祭司長や律法学者、民の長老たちは、「

何とかしてイエスを殺そうと謀ったが、民衆を恐れて手が出せなかった」と言う出

来事。祭りのために全国から集まった人々でごった返す神殿で、突然そこで商売を

している人々を追いだしはじめて、『わたしの家は祈りのいえでなければならない。

ところがあなたたちはそれを強盗の巣にした』といったこと。何の目的で、主イエ

スはこのような暴力的な闖入事件を起こしたのでしょう。

 エルサレムの神殿の「異邦人の庭」と呼ばれるところで、祭儀に用いる牛や羊な

どの動物や、世俗の貨幣を神殿の貨幣に替える両替商などの商売が行われていたこ

と、そして、それは神殿の祭司長たちの管理下にあったこと、それはばく大な財源

となっていたのは確かのようです。宗教集団が人間の社会の中で生きて行くための

経済活動が行われていたわけです。主イエスの行動に注目していた人々の前で、こ

のような激しい暴力的な行為は、当然激しいリアクションを引き起こしました。そ

れによって、神の国がまもなく来るのに備えて宮清めがされたのか、エルサレムを

中心とする祭儀が世俗に流れているのに対して抗議と挑戦をしたのか、いずれにし

ても、この暴力的な活動によって、神殿の中での商売が中止されたということはな

かったでしょう。一時監護にはまたもとどおり商売人たちは商売をはじめたことで

しょう。この行為の実効性は期待できません。しかし、二つのことがここで明らか

にされています。すなわち、見えない裂け目が見えるようになったということ、そ

して、この世の権威者の意志です。見えない裂け目は、生きた神を礼拝し、祈るこ

とそのものと人間の集団がそれを目に見える形で実現し続けることとの裂け目。神

を礼拝する者と宗教者との裂け目、あらゆるところにある神からのものと人からの

ものとの裂け目、主イエスはこれをあらわにされるだけでなく、それは当然のこと、

仕方のないこととはされません。わたしたちは、主を仰ぐときわたしたちのこの裂

け目に暴力的に闖入されることを軽く見ることはできません。また、この出来事は、

このようにわたしたちの深みに巣くう罪、裂け目をあらわにさされると同時に、そ

の結果をみずからの死において引き受けておられることにも気づかされます。罪を

引き受けるための具体的な働きとして、このような怒りを引き起こしているのです。



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