1月14日
2001年1月14日

「終末の徴」

ルカによる福音書21:5-19


 

 主イエスは十字架にかかられる前、エルサレムの神殿の崩壊を予告されると共に、

この世の終末がどのようにして来るかについて語られました。この福音書の小黙示録

として知られているところは、主がご自分のものとされた民をどのような時に出会わ

せ、どのような時の中を導いて行かれるかについての見取り図が描かれているもので

す。それは単にユダヤ人の珍しい終末思想の例として、あるいは、独特の未来予測の

例として博物館に行くときのように聞くべきではありません。

 この章全体に展開されている終末の徴は、神殿の崩壊をはじめ、国は国に敵対し、

民は民に向かって蜂起し、大きな地震、飢饉、疫病が起こり、天には大きな徴が現れ、

天体は揺り動かされ、と、わたしたちの想像を絶する規模で天と地と、その中にいる

生命の破局が訪れることを告げています。しかし注意してみると、そのような恐るべ

き時のどの時点も、キリストの存在なしにある時はない、偽預言者の到来も、それは

「わたしの名」を名乗るものの跳梁にすぎず、天体が揺り動かされるときも、「人の

子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくる」ときです。どの終末の徴も、時の支

配者である主の名をいよいよ明らかにする時なのです。だから、それは、「惑わされ

ないように気を付けること」、一心に主を見上げる時です。

 また興味深いことに、この終末の時はキリスト者にとっては、安心して無関係でい

られるときなどではなく、むしろ、その時こそ、迫害の時、悩みと苦しみの時です。

「わたしの名のため、あなたはすべての人に憎まれる」「人々はあなた方に手を下し

て迫害する」と語られます。新しい命が現れるための産みの苦しみにキリスト者は立

ち会わされるのです。

 もっと興味深いことは、このような迫害の時、すべての人に憎まれるときは、福音

があかしされ「福音があらゆる民に宣べ伝えられる」時、そのとき、キリスト者には

「どんな反対者でも対抗も反論もできないような言葉と知恵をわたしがあなたに授け

る」という経験をするときだと語られます。従って、それは「忍耐によって命をかち

取るとき」です。

 わたしたちは、これまでの教会の歴史はここに記されてきたような経過をたどって

来たことを確かめることができます。さて、わたしたちはどのような時を生きている

のでしょう。どこに向かうかよく見定めましょう。




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