3月4日
2001年3月4日

「御心のままに」

ルカによる福音書22:35-46


 
 主が十字架前夜にゲッセマネの園で祈られたとき、ルカによる福音書は、その前に

使徒を待つべき必要な備えについて不思議なことを話されたと伝えています。「しか

し今は、財布のあるものはそれをもって行きなさい。袋も同じようにしなさい。剣の

ない者は服を売ってそれを買いなさい」と。暗闇が支配する中で、主ご自身がその最

も暗い部分をご自分の命を引き渡すことを通して光に変えてくださるとき、主に従い、

主に遣わされる者の備えるべき装具はなにか。それは、これまでただ主のみ信頼して、

主の言葉通り神の国を宣べ伝え、悪霊を追い出したときのような装備とは異なる、こ

れまでとは違う備えが必要だ、と。敵意と侮辱、迫害と追放、主イエスに従う者も、

主が経験されるような人間の暗闇を経験するとき、お金も、蓄えも、剣も必要だとい

うのです。主イエスはどうしてここで、「右の頬を打たれたら左の頬を向けなさい」

とか、「剣を持つ者は剣で滅びる」のであるから、一切の武力を放棄しなさい、と語

らないのでしょう。財布にしても、剣にしても、それらはこの世で大きく生きていく

ための道具です。それらは大きくなればなるほど不安が大きくなるという特性を持っ

ています。主はこのような悪循環を起こさせるために、この世に遣わされるのでしょ

うか。主は弟子たちの弱さを知っておられます。彼らの従順と無垢な心が、ただちに

挫折し、自分の弱さを他者を批判する種にするだけの者に変わるのを知っておられま

す。その彼らをこの世に遣わすときの装備は、この世そのものです。剣が自分を守る

有効な手段であることを信頼しておられたか。その答えは主が捕らえられたときにす

ぐ明らかになります。ペテロが持っていた剣で大祭司の手下の耳を切り落としたとき、

それは主の手を煩わせただけで、主から離れて遠く逃げ去ったのでした。

 主が遣わされるとき最も有効な装備となるものは何か。それは剣や財布ではなく、

祈ることです。ルカによる福音書が伝える「オリーブ山のいつもの場所」での祈りは、

主ご自身の祈りの激しさというより、使徒たちに祈る姿を見せて、彼らに「誘惑に陥

らないように祈りなさい」と何度も語られたと強調しています。「自分の思いではな

く、御心が行われるように」との祈りをわたしたちの前で見せてくださるのです。十

字架を担って遣わされた者も、ともにその祈りに合わせることができるとき最も強力

な装備を持ちます。



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