3月11日
2001年3月11日

「闇が支配するとき」

ルカによる福音書22:47-52


 
 主イエスが十字架に付けられる前夜、12弟子の一人のユダがイエスを捕らえる者

たちを連れてきて、接吻を合図にイエスを捕らえたこと、そして逃げ出したペテロが

三度イエスを知らないと否認したこと。一つ一つの情景の中に、「今はあなたたちの

時で、闇が力をふるっている」と主イエスが語られるとおり、深い人間の心の闇があ

らわされています。

 12弟子の一人でユダという者が先頭に立ってイエスに接吻をしようとして近づい

た。イエスは『ユダ接吻をもって人の子を裏切るのか』と言われた。神の子イエスが

逮捕され、裁判を受け、十字架につけられる、その決定的な引き金を引いたのは12

弟子の一人ユダです。ユダは人々の影に隠れてこっそりとイエスを指さしたのではあ

りません。人々の先頭に立ってイエスに近づき、接吻をすることをもって合図とした

のです。主の目は怖くなかったのでしょうか。それほどに大胆にイエスを裏切ること

ができたユダの心の闇は、どれほど深いことでしょう。

 イエスを取り巻く弟子たちの一人がここで起ころうとしていることを見て「主よ剣

で切りつけましょうか」といって主の答えを待つこともなく大祭司の僕に切りつけ、

耳を切り落としたことが記されています。自分の主を守るために、自分の主の力をふ

るうのを助けるために、剣を振るう。こうして信仰を宗教の故に剣がふるわれ、果て

しない闇が世界を覆います。主イエスは自分を捕らえられるものを癒すことを通して、

この無用な闇の広がりを防がれます。

 ペテロがたき火に当たりながらイエスを知らないと三度も否認したことによって示

されているペテロの心の闇も、また深くわたしたちの心とつながっています。強いイ

エスが共にいるときは一緒に死ぬこともいとわないかったペテロが、弱いイエスを見

るとき、一人で自分の強さで世界に立ち向かおうとするとき、卑怯な人になります。

 これら一連の闇の中の出来事で、最も印象的なのは主イエスのまなざしです。ユダ

を見るまなざし。否認したペテロを遠くから振り向いて見られた主のまなざし。その

まなざしの中にペテロがおり、12弟子の一人ユダがいます。一切を放棄し、すべて

が終わったと思えるようなところ、そこを歩まれることを通して、すべてを新しくさ

れる方ののまなざし、闇を刺し貫いて光をもたらすまなざしです。


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