3月25日
2001年3月25日

「何の罪の故に」

ルカによる福音書23:1-12


 
 民の長老会、最高法院の決定に続いて、ローマ総督ピラトとガリラヤの領主ヘロデ

のもとでの裁判が続きます。ここで主イエスは、「ポンテオ・ピラトのもとで苦しみ

を受け、十字架につけられ」と語られるような十字架刑の事態へと引き渡されていき

ます。ユダヤの最高議会、ピラト、ヘロデと、当時のこの世の権力を代表する者たち

が勢揃いして、主イエスの十字架刑が実現したわけです。この人類史に大きく記され

る出来事は、しかし、これらの権力者たちの周到な、また綿密な計画と論理の集積の

結果起こったことなどでない、ばたばたとあわただしく、まるで夢の中の出来事のよ

うに過ぎて行くものであった、このことをルカによる福音書はわたしたちに印象深く

告げています。

 ポンテオ・ピラトについて、ローマ皇帝の権威をユダヤの民衆と権力者に悟らしめ

ることにまことに熱心であったこの野心家のローマの政治家は、主イエスの裁判に関

しては、一貫してその無実を確信し、公言しています。人々を扇動したしたとか、皇

帝に税を納めることに反対したというような祭司長たちの訴えは、証言の必要もない

ほどのこととして退けられ、ただ、イエスがガリラヤの出であることを知って、ヘロ

デ・アンテイパスのところに回して、その判断に委ねようとして、熟練の政治家とし

ての力量を示しています。ヘロデもイエスを見て喜んでいるだけで、真面目に裁判と

取り組んだとは記されていません。兵士たちと一緒になって侮辱し、派手な服を着せ

てピラトのところに送り返しただけです。主イエスは、罪を背負って十字架刑に処せ

られて死なれましたが、これらの事実から見ると、自分の罪を負って死んだのではな

く、ユダヤの最高議会の人々の、ピラトの、ヘロデの罪を負って死んだのです。何故

なら、ピラトは裁判官として無罪を確信しつつ、そのことを宣言する務めを正しく果

たしていません、ヘロデは自分の領民の冤罪を確信しつつ、それをからかいの材料に

しているだけです。真実に対して不真実に、義に対して不義を持って応える罪、無垢

のものに誠実に向き合うことのない罪です。主イエスは十字架において、このような

罪を引き受けておられます。外面的、形式的な権力の維持のために、いかに無責任な

こと、空洞のことが行われるか。自分の保身のためにいかに卑怯なことが行われるか、

このことをまざまざと見せながら、わたしたちの罪のために死が展開されます。


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