使徒言行録1:1-11
ルカによる福音書の講解から使徒言行録の講解へ。十字架につけられ天に昇られた 福音書に記されている主イエスが、どのように今わたしたちの間で生きておられ、わ たしたちの主であるのか、この連続性を説くカギは使徒言行録にあると考えられます。 その答えは聖霊にあることは明らかですが、その聖霊は一体どのような働きをされる のか、そのことをこの書によって学ぶことになるでしょう。 使徒言行録の最初はルカによる福音書の最後と重なります。同じ記者による違う記 述ですから、複眼で出来事を見ることになり、立体構造が見えてきます。主イエスが 復活して40日間のこと、福音書では復活を信じない弟子たちに聖書に約束されてい る来るべきメシアと主ご自身の歩みとを結びつけ、心の目を開かれることを主眼とし ています。使徒言行録の方は、主イエスが神の国のことについて語られ、聖霊を受け るとき力を受けて、エルサレム、ユダヤ、サマリア、そして地の果てまでわたしの証 人となることを約束され、聖霊を待つように教えられます。新しいときを展望してい るのです。この復活した主イエスの40日は世界の歴史の中でも最も創造的な40日 であるといった神学者がいましたが、それはもっともです。 ここで、主イエスが40日にわたって神の国のことを話され、キリストの証人とな るべく聖霊を待つようにと語られたことは、ルカによる福音書との連続性の中で読む とその趣旨がよく分かります。使徒たちが神の国、神の支配の訪れの時として待ち望 んできたことは、彼らの期待とは全く違ったかたちで、彼らの目の前で実現されてい ることが先ず明らかにされます。十字架の上でのあの裏切りや嘲り、辱めをご自身に 引き受け、自分の罪のためにではなく人々の罪のために死なれて、罪の赦しを父なる 神に願い祈られる方と共にある神の国、これこそ聖書が約束している神の国であるこ とが語られたということでしょう。そして、裏切ったり逃げ出したり、疑って信じる ことをしない弟子たちが、聖霊が注がれることによって、その神の国のための証人と して、用いられることが約束されているのです。神の国に参与したいという彼らの願 いは、最初主に従い始めてから、主の死に出会わせ、復活に主とみ言葉に出会わせ、 さらに聖霊に出会わせて、一貫して、そして、ここでまた大きな飛躍をして、彼らが 思いもかけないような方向で実現されて行きます。