5月13日
2001年5月13日

「教会の出発の備え」

使徒言行録1:12-14


 
 母の日は聖書の言葉に根拠を持つ特別な教会の里杯ではありませんが、広く世界に

広がった教会の習慣です。この時だれもが特別な愛と慈しみなしでは生きられなかっ

たことを思い起こします。だれもがそのような「心の故郷」をもっているのです。キ

リスト教会にも心の故郷と言うべきものがあります。しっかりとした心の故郷をもつ

ものはあまり病気にならないし、また、なっても回復が早いといわれます。教会の共

同の心の故郷を確認するためには、使徒言行録の学びが必要でしょう。

 教会がまだ胎児であったときの話、天にあげられて見えなくなった主イエスを見上

げていた使徒たちが、エルサレムの二階座敷にのぼってひたすら祈りをしていたとい

う単純な情景、これが教会の心にしみこんでいる幼児体験(?)であるとしたら、こ

こに教会という生命体を理解する非常に大切な鍵がひそんでいるといわなければなり

ません。教会が出発するに当たって最も基本的な備えがなされています。第一に、こ

の集団はある定まった場所に集まっています。彼らはガリラヤの人たちですが、エル

サレムに留まって、ある定まった家に集まっているのです。ここからエルサレム教会

ははじまりました。人間の頭の中だけに存在するのではなく、また信仰の中や天上に

あるものでもありません。第二に、ここに集まる人たちは名前を持った人たちです。

ペテロやヨハネ、ヤコブ・・・、漁師や徴税人、革命家たち、人の目から見れば知恵

ある者が多いわけではなく、能力のあるものや家柄の良い者が多いわけではありませ

ん、という評価はそのまま当てはまります。しかし彼らは一人一人キリストに呼び出

された人々、具体的な全人格です。そして第三に、この集まりは「心を合わせて熱心

に祈った」というのです。主イエスと一緒にいるときは、このようには心を一つにし

なかったでしょうか。何が彼らを祈らせているのでしょう。それは、復活の主に出会

い、主は生きておられるという確信と、主は天におられて離れているという不安と必

要があるからでしょう。また、主イエスが「あなた方はやがて聖霊を受け、わたしの

証人となる」という約束と使命を聞いているからでしょう。この独特の中間状態の中

にいる弟子たちが「心を一つにして熱心に祈る」という行動へと駆り立てられていま

す。教会が建てられるところでは、いつでもどこでも、このようです。


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