7月1日
2001年7月1日

「罪の赦しによる救い」

使徒言行録2:37-47


 
 はじまったばかりのキリスト者の集団が、ナザレの預言者イエスの信奉者として、

当分の間は熱心に活動していたが、やがて歴史の中に消えてしまうという、どこにで

もある宗教集団の営みと違って、歴史を貫く永遠性を現しているのは、まさに、いま

も生きている聖霊の働きによります。その聖霊がペトロを通して語り出させる言葉は

何か、この秘密を解くカギにペテロの最初の説教はわたしたちを誘います。そこには

福音がこの世界に明らかにしなければならないことが要約して示されています。

 ここでペテロと聴衆の間に交わされた対話に注目しましょう。人々は心を刺されて、

ペテロと他の使徒たちに「兄弟たちよ」と呼びかけ、「わたしたちはどうしたらいい

のですか」と問うています。福音の説教は心を安らがせるのではなく、驚きと共に心

穏やかならぬ気持ちを起こさせます。「あなたがたが十字架にかけて殺したイエスを、

神は主、またメシアとされた」と、あなた方の責任を問うからです。これに対するペ

テロの答え、一見イエスの死とは関係ないと思われるその場の人々に、「悔い改めな

さい。罪の赦しを受けなさい。そうすれば、あなた方も聖霊の賜物が与えられる」と

いうのです。「あなた方は心配しなくてもいい。イエスの死の本当の責任は祭司長や

民の指導者たちにあり、また裏切ったわたしたちにある」というような安心を与えま

せん。わたしたちは、ここに福音のメッセージの不思議な構造を見ることができます。

主イエスが十字架にいたる光景をルカによる福音書を通して克明に見てきました。神

の御子の愛と真実と正義が具体的に病んでいる人に、失われている人にあらわされる

とき、その真実はどのような敵対と裂け目を作り出すか。そして、その敵意とそねみ

を負って主の命は引き渡されて行く。真実を葬り去る引き渡しの連鎖。福音は、わた

したちもその輪の中にいることに気づかせます。そこから驚くべき展開があります。

神がイエスを死人の中から引き上げられた、と。わたしたちがイエスを死に引き渡す

その責任をとり、神に立ち返り、行いを持って償うことを求めるのではないのです。

「あなた方は殺した・・・神はよみがえらせた」という対立構造は、驚くべきことに、

神の主イエス・キリストの死を通してあらわされた愛を伝えるために構造です。その

愛にふれるときわたしたちは神の立ち返る、赦されていることを知るのです。更に驚

くべきことは、洗礼を受けて主の名を呼ぶ者は聖霊の賜物が与えられるといわれます。

ペンテコステの出来事はずっと続くのです。


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