7月22日
2001年7月22日

「イエスの名が強くする」

使徒言行録3:11-26


 エルサレムの神殿の東側にあった「ソロモンの柱廊」での昼の情景。生まれながら

足が不自由で、神殿の入り口で物乞いをしていた男、しかし、いまや主イエスの名に

よって立ち上がり、歩き回ったり躍り上がったりして喜びを表している男が、ペテロ

とヨハネに付きまとっています。驚いて人々が走り寄ってきました。ここで、ペテロ

の第二の説教がはじまります。福音の宣教は、聖霊の働きが起こす情況に押し出され

るようにして、突然に、始まります。

 ペテロの説教は二つの部分に分かれます。初めは「イスラエルの人々」と呼びかけ

て、そこで起こっていることを説明する部分、すなわち、あなた方が殺してしまった

命の導き手イエス、このイエスの名を信じる信仰があなた方が知っているこの人を強

くした、と。つぎに、今度は、「兄弟たちよ」と呼びかけて、イエスが神から遣わさ

れたメシアで、苦しみを通して救いを成就すると預言者によって預言されていたこと

がこの方によって実現したのであり、あなたがたも、悔い改めて神に立ち返り、イエ

スの名によって祝福にあずかるようにと勧めます。主イエスの名はただ足の不自由な

人を歩かせるだけでなく、それを見ているあなた方にも救いを与える方、慰めのとき

の訪れ、新しい命の息吹にあずからせてくださる方であることを明らかにし、イエス

の名を信じるように強く促します。

 ここでも驚くべき飛躍によって、イエスの名の特別な権威と力を強く示し、その名

を信じることが決定的な結果をもたらすというメッセージが強く伝わってきます。こ

の短い説教のなかに「イエスの名」はさまざまな言葉で表現されています。「神の僕

」、「聖なる正しい方」、「命の導き手」、「メシア」など。それぞれ味わい深い言

葉ですが、それは「あなた方」の否認し、引き渡し、殺したというイエスに対する態

度と、神は死者の中から復活させた、「この僕イエスは神の栄光をお与えになりまし

た」という全く相反する扱いをあらわにし、それによって神が人類に対する救いの計

画を実現されたのであるから、この名を信じて神に立ち返るとき、そこに約束された

祝福があるというのです。ここで注目すべきは、イエスの名が「僕」と言われている

ことです。これはイザヤ書の「苦難の僕の歌」と一緒に読むとここで語られているこ

とがはっきりしてきます。多くの罪を代わって引き受けて裁かれ、屠られる羊のよう

に無惨な死を遂げることによって多くの罪が赦されることになった「主の僕」です。

主イエスの名はこの「僕」と結びつけられています。


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