使徒言行録4:23-31
虎口を脱するようにして、使徒たちが最高法院の尋問の場から釈放されて仲間のも とに帰って来たとき、教会は心を一つにして祈ります。ペンテコステのときのように、 「一同が座っていた場所が揺れ動き、皆聖霊に満たされて大胆に神の言葉を語りだし た」と記されています。第二のペンテコステといわれる出来事です。聖霊のこのよう な働きを受け取る教会は、どのような祈りをする教会なのでしょう。心を一つにして 祈ったことは、「あなたの僕たちが思い切って大胆に御言葉を語るようにしてくださ い・・・癒しと不思議な業がイエスの名によって行われるようにしてください」とい うことでした。わたしたちもこの祈りの精神を受け継ぎ、心を一つにしてその祈りの 実現に向かって励まなければなりません。 さて、この祈りの内容をよく検討すると、ここで祈られていることは、まさに彼ら が最高法院で脅された上、堅く禁じられた内容そのものであることに気づきます。最 高法院という当時彼らが生きていた世界の公的な統治権威の決定に対する明らかな不 服従を表明しているのです。大きな危機を含むこの大胆な祈りの精神は何を根拠にし ているのでしょうか。それを解くカギは祈りの言葉自身の中にあります。 先ず、この祈りが向けられている上は、「あなたは天と地と海とその中にあるすべ てのものを造られた方」と告白されています。使徒たちは主イエスの生と死、復活と 昇天を知ることによって、天と地の創造者を明確に知るようになっています。この世 界の本当のはじめと終わりを知るものとなっているのです。この世の権威は確かに生 命を脅かす力を持っていますが、今や、それをも支配する本当の権威を知ったという ことです。つぎに、彼らの祈りは、この世の権威が行うことの本質を「主が油注がれ た聖なる僕イエス」に対して行った行為によって見抜いています。彼らは十字架にか けて殺したのです。しかし、神はまさにこのことによって実現するようにとあらかじ め告げておられた救いの計画を成就した、ということです。この世の権威と権力の本 質をこのように相対化しています。そして、更に、彼らは何よりも前にいる主イエス の名によって歩けるようになった人の現実を見て、権力者の限界をはるかに超えて新 しい命に生きるものの現実をみています。イエスの名によって語ること、しるしを行 うことの緊急の必要性に促されているのです。神を共に礼拝し得なかったものが神を 讃美し、施しを乞うためにおかれていたものが愛するものとして生きはじめる解放の 事態の緊急な必要性を目の当たりにしているのです。キリスト者の大胆さの向かう方 向はこのように定められています。