使徒言行録5:33-42
ユダヤの最高法院で使徒たちが捕らえられて殺されようとしたとき、ガマリエルと いう律法学者の慎重で良心的な判断が議会を凶暴に駆られた行動へと走るのを押し止 め、はじまったばかりのキリスト教会が全滅するのを防ぎました。 ガマリエルは「あの計画や行動が人間から出たものなら自滅するだろうし、神から 出たものなら彼らを滅ぼすことはできないばかりか、われわれは神に敵対することに なる」というのです。ここで語られている独特の歴史観に注目してみましょう。ここ には、@人間の歴史で起こる事は神からのものと人間からのものがある。A人間から のものは自滅し、神からのものは永続するゆえに、神からのものを見分けて畏れなけ ればならない。B他者の信仰に基づく行動は慎重と寛容によって判断しなければなら ないという見解があります。これらの点は近代の民主主義的な政治体制の中でも思想 や宗教を扱う場合は基本的な原則となる普遍性を持っているのは確かです。しかし、 ガマリエルの思想は、キリスト者がそれを目指して生きる模範にはならないでしょう。 彼の信仰は、少なくともこの演説では、不可知論に留まっています。神のものからか 人間のものからか結局は分からない。それを決定するのは時だけである、だから自分 は何もしない、というわけです。この歴史の中で神の時を見出して生きようとしない のですから、この信仰は退屈で世界への無関心を生み出します。 ガマリエルの信仰と使徒たちの信仰から出る歴史理解の決定的な違いは、使徒たち が感じた喜びの質にあります。「使徒たちはイエスの名のために辱めを受けるほどの 者にされたことを喜び・・・」と記されています。この喜びはどこから来るのか。そ れはただ神を信じているということだけではありません。主イエス・キリストによっ て神を知ることからきています。主イエスにあずかることによって自分の苦難と痛み が主イエスとの絆であることを見出した者の喜びです。