9月23日
2001年9月23日

「殉教者ステファノ」

使徒言行録6:8-15


 執事として選ばれた7人の最初に名前が挙げられているステファノは、「信仰と聖

霊に満ちた人」として、その活動が伝えられています。それは、御言葉を大胆に語り、

敵対するものと論じ合い、まさに伝道者・使徒・神学者の働きを兼ねています。この

ステファノが教会の最初の殉教者となります。殉教は命を捨てても信仰を全うする行

為を意味しますが、自分の命の代償を他の命を巻き添えにすることではありません。

それは教会の歴史において失敗、敗北、汚点の出来事ではなく、むしろ克服、貫徹、

勝利の出来事としてたたえられてきました。信仰は「殉教」(この言葉の原語の意味

は「証し」)を生起させます。しかし、それはどのようなことであるのか、ステファ

ノの場合をよく見る必要があります。

 聖書が伝えるところでは、ステファノの働き、宣教に対して、「キレネとアレキサ

ンドリアの出身者で、いわゆる「解放された奴隷の会堂」に属する人々、またはキリ

キアとアジア州出身の人々が立ち上がり・・・」と記されています。これは先にペテ

ロやヨハネ、12使徒たちを最高法院に連行したグループとは明らかに違います。ユ

ダヤではなく外国で生まれ育ったユダヤ人、かつて奴隷として苦労したが今は解放さ

れ、エルサレムで自分たちの仲間とともに会堂(シナゴグ)を形成して生活している

人たちを中心とするグループ、これが、キリスト教会の迫害者として立ち上がってい

ます。おそらく、ステファノ自身がこのグループに近い人だったと想像されます。彼

らはステファノの伝えるキリストの福音に対して、「この聖なる場所と律法をけなし

て一向に止めようとしない」と訴えています。ナザレのイエスはエルサレムの聖所と

律法の破壊者だと感じられたのです。労苦の末にシオンの丘に帰ってきたユダヤ人た

ちが、きわめてラディカルにユダヤの伝統に固守する心情は、わたしたちにもよくわ

かります。しかし、ステファノが霊と知恵に満ちて語ったことは、たしかにこの人々

の確信を根底から揺るがすものでした。見える聖所が救いの保証となるのではなく、

律法の行いが救いの保証となるのではなく、人々に十字架につけられ、神がよみがえ

らされたイエス。キリストを信じる信仰が、神の義を回復し、永遠の命を約束すると

語るからです。

 キリストの僕の信仰と行動が向き合っている世界はこのようです。聖霊と知恵によ

って語ることは、世界が聖とし絶対とするものの根源を揺るがして、もっと揺るがな

いものを明らかにする働きです。ここで、ある状況においては殉教が起こりうるとい

うことです。真理を語り精励と知恵によって生きることは、このような危険を伴って

います。


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