11月4日
2001年11月4日

「ダマスコ途上にて」

使徒言行録9:1-19


 使徒パウロの回心の出来事。一人の人が回心してキリスト者となるにいたる道のこ

とを「ダマスコへの道」ということがありますが、ここにその原点があります。それ

は大変ドラマティックな出来事で、迫害者であったパウロがダマスコの会堂にいるキ

リスト者を捉えて連行するために大祭司の書状をたずさえて行く途中で、突然、天か

らの光に照らされ主イエスの語りかけを聞くということでした。キリスト教会は、は

っきりした突然の形であれ、またあまりはっきりとしない連続的な形であれ、いずれ

にしても主イエス・キリストの呼びかけ、呼び出しによって集められた共同体ですか

ら、ここにあるパウロの回心の出来事は数億、数兆の主の呼び出しの一つのケースで

あるに過ぎません。キリスト者は一人一人それぞれに独特の道をたどって主の命をい

ただくようになりました。どの出来事が優れていて、どの出来事が劣っているという

ことではなく、主の前には同じ事でしょう。しかし、一人一人の回心の出来事は、そ

れぞれ違うものでありながら、それを聞くとき深い共感と感動を呼び起こし、また共

通体験があることに思い至ります。それ故に、回心の体験は「伝道」になります。パ

ウロも自分の回心の出来事を伝道の言葉として語っているところがあります。それは、

その出来事を通してわたしたちの近くでも働いている生きた存在、主イエス・キリス

トに目を覚まされるからです。

 サウロという若者の回心の出来事の最も中心的なことは何だったのでしょう。何が

彼の人生の方向を180度回転させたのでしょう。突然の天からの光によって地に打

ち倒され、目が見えなくなった恐怖の体験、「サウロ、サウロ、なぜ私を迫害するの

か」という主イエスの声、ダマスコでサウロのところを尋ねてくれたキリスト者、主

の霊によって導かれたアナニアの親切な導き、目が見えるようになった喜ばしい回復

と癒しの体験・・・。何が一人の心を変える決定的なものとなったのか。パウロ自身

手紙の中で回心の体験を述べている言葉を注意深く見てみると、「御子をわたしに示

して、その福音を異邦人に告げ知らせようとされたとき」(ガラテヤ1:5)とか、

「わたしの主イエス・キリストを知ることのあまりのすばらしさに・・・」(フィリピ

3:7)、「キリストの愛がわたしを駆り立てています」(2コリント5:14)と

いう表現を使っていて、きわめて人格的なキリストとの出会いがあったことを伝えて

います。圧倒的な存在感を持って近づいてくる神、十字架で死んだキリストの復活し

た命と愛に圧倒され、その中に新しい自分の生きる方向が包み込まれていることを発

見するような体験です。


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