使徒言行録10:1-16
ローマの百人隊長コルネリウスの洗礼の出来事。ここで、主イエス・キリストの十 字架の死と復活を宣べ伝えるキリストの福音は衝撃的な新しい道をを歩み始めます。 ユダヤと異邦人との障壁が取り払われたのです。言葉や文化、習慣や宗教の違いはわ たしたちが想像する以上に深く人と人との間を裂き、真の和解と共同をもたらすため には、それぞれが立っている堅い地盤が突き崩されるような経験をしなければなりま せん。使徒たちの教会において、またそのことが起こっているのです。そこで勝ち取 られた成果によって、いま異邦人であるわたしたちも、キリスト者として主の前に礼 拝しています。何という恵み・・・。しかし、ここで克服されたことは、この世界に 生きる者にとって絶えず新しい課題として残されています。自分とは異なる者を差別 し軽蔑し排除する思想は、手を変え品を変えて巧妙に人の心の中に侵入し、そのとり こにしますから。 コルネリウスの回心によって開かれた新しい道、衝撃的な克服はどのように起こっ たか、それは当事者たちの信仰の力や高潔な人格による英雄的な大いなる歩みによる のではないことに注意しなければなりません。何よりも上から、聖霊が打ち開いてく ださった事態です。まるでクリスマス物語の再現のように、ここでコルネリウスに、 また、ペトロに、聖霊が幻をもって働きかけ、一人の人、一つの家がキリストのもの として新しく生まれ変わるのです。コルネリウスは「信仰あつく、一家そろって神を 畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていた」と記されています。申し分のな い信仰者です。しかし、そのような信仰と行為をもってしても、律法はこの人を真の 神の民に数えません。この人の敬虔と慎みは、むしろ障壁を甘受する方向に働いたか もしれません。しかし、ここでアクションを起こしているのは聖霊です。ユダヤ人と 異邦人の壁を痛みとして感じ、取り払うべきだと行動を起こしているのは上からです。 コルネリウスは、ヤッファにいるペトロという人を招きなさいという不思議な幻のお 告げに忠実に、そして迅速に従っているだけです。ここに、彼の信仰があります。固 着した律法信仰ではなく生きた神の働きに耳が開かれており、それに従う心の柔らか さを持っているのです。ペトロに示された有名な幻もまた、ペトロのかたくなな心を 突き崩す巧妙な仕掛けです。「神が清めたものを、あなたが清くないなどといっては ならない」という語りかけ、これはペトロの空腹が生み出した幻想のレベルから、世 界を変える道を開く出来事を予知するレベルの幻にするのですから。