使徒言行録13:13-41
パウロの一行はキプロスを発って小アジアに向かい、ベルゲ、そしてピシデアに向 かいます。ピシデアのアンティオキア、海抜1200mほどの湖沼地帯にあるローマ の要塞都市、ここでユダヤ人の会堂で、安息日にパウロが説教をしたその内容が比較 的長く記されています。ユダヤ人と紙を敬う異邦人に向かってなされる福音の説教。 パウロが語った福音とは何か、どのような角度で、どのような言葉を用いてなされた のか。ペトロやステファノの説教をこれまで見てきましたが、それらと比較してパウ ロ的な特徴を見ることが出来るか、などの問いをもちながら、その言葉遣いに注意深 く耳を傾けると、ここでルカが伝えているパウロの説教の熱い温度も伝わってきます。 ここでは、まずイスラエルの歴史から語り初めています。モーセと出エジプトの経 験、カナンの定住、預言者サムエルからサウロ王のこと、この王様の名前は自分の名 前に由来に関わるものでうから、パウロはしっかりと語っています。そして、ダビデ 王のことから一挙に、イエス・キリストのことに飛躍して、エルサレムの人々と指導 者たちは、なんら死に当たる罪や見出せなかったのにピラトに要求してイエスを殺し てしまったこと、このイエスを神が死者の中から引き上げられたことを伝えています。 こうして、このイエスの復活は、神がかねて預言者によって預言していたとおりのこ とが成就したことであって、これによって、「あなたがたがモーセの律法によっては 義とされ得なかったのに、信じる者は皆この方によって義とされたのです」というメ ッセージが語られます。ここでパウロは、自分がどのようにキリストに出会ったかの 個人的な体験や唯一の神についての一般的な思想からではなく、イスラエルの歴史か ら語り始めていることに注目したいと思います。しかもその歴史は、珍しい出来事の 時間の流れに従った配列などではなく、神の導きによって展開する民の歴史です。天 と地の造り主である神がこの世界の現実とどのように関わりたもうたのかの現実が語 られ、その歴史の頂点としてイエス・キリストの死と復活の出来事があること、しか も、人間のあらゆるおろかな企図にもかかわらず、神は一貫して恵みの御手をもって あくまでも信実であり続ける歴史です。この点でパウロの説教はペテロやステファノ の説教と中心的な骨格を一つにしています。それとともに、「モーセの律法によって は義とされ得なかったのに、信じる者は皆、この方によって義とされるのです」とい うこのいうこの一言に、福音の広がりを与えるパウロの新しい強調があります。