使徒言行録18:12-17
一年半に及んだコリントの伝道は、他の町での伝道と同じく、ユダヤ人たちの告訴 騒ぎへと発展します。しかし、ここではガリオンというアカイヤ州の総督の「わたし はそんなことの審判者になるつもりはない」という一言で、いわば、公訴棄却になり ます。ガリオンはローマの歴史にも登場する有名な教養人で、皇帝ネロの家庭教師で あった哲学者セネカの兄です。 津田野人はパウロを訴えて、「この男は律法に違反するような仕方で神をあがめる ようにと、人々を唆しています」といいます。ローマ帝国は、多くの民族を抱え込ん でいた大帝国で、それぞれの文化や宗教にたいして寛大に扱い、そのもとで秩序ある 生活をすることを奨めていました。ただ、ローマの守護神であるローマ女神の礼拝と 皇帝礼拝は国家的な礼拝として拝礼を義務付けていました。ユダヤ人はこれにも強固 に反対しましたので、特例として、ユダヤ人はこの義務を免除され、そのかわりに、 エルサレムの神殿と帝国全土に広がるユダヤ人の街道で皇帝のために祈ることが科せ られていました。このようなローマ帝国とユダヤ人の関係の中で、コリントのユダヤ 人は、自分たちの集団の存立を脅かすキリスト者の排除をローマの権力を借りて行お うとしたのです。このような依存の関係をどのように考えたらいいのでしょう。帝国 あっての宗教であれば、と以前というべきでしょうか。 ガリオンは、「これが不正な行為とか、悪質な犯罪とかであれば別だが、問題が教 えとか名前とか諸君の律法に関するならば、自分たちで解決するがよい」というので す。これは主イエスの十字架を決定したピラトのように、不誠実な責任放棄の態度で はないでしょう。ガリオンは自分が代表している政治的な権力の及ぶ範囲を自ら限定 し、宗教的・文化的な領域に介入しないと宣言しているのです。その背景には、それ ぞれの宗教と文化には集団を秩序付け、平和をもたらすことができる自立的な力があ るとの理解があります。剣をもって支配するものの限界をよく認識しているのです、 ローマは、その後この態度を捨てて、大迫害から国教化へと揺れますが、結局。この ガリオンの姿勢が、近代的な清司理念として生き残ることになります。聖霊は、この 世の知恵としてガリオンの中でこのように働いています。しかし、この知恵と共に、 教会が、まさに自律的な共同体として、みずからを地の塩、世の光として働くことが できるようにするための訓練と成長の場が整えられていなければ、この知恵は無駄な ことになります。聖霊は教会のうちに働く霊として、聖徒を訓練し、聖徒を訓練し、 成長させます。