8月11日
2002年8月11日

「律法の下にある人には、律法の下にある人のように」

使徒言行録21:17-26


 エルサレムに上る旅は、いよいよ最終目的地に着きました。主の兄弟ヤコブや長老

たちはパウロの一行を歓迎し、パウロが、「自分の奉仕を通して神が異邦人の阿宇田

で行われたことを詳しく」聞いて、一同は紙を賛美したと記されています。神が主語

であるところの福音伝達の働きが、人間の働きではなく神の働きとして語られ、聞か

れるところ、ここに教会の賛美が正しく起こります。礼拝の時と空間が広がったので

す。しかし、その聖なるときは人間の狭い思いによってただちにそこの浅さを露呈し

ます。「兄弟たちよ。御存じのように幾万人ものユダヤ人が信者になっていて、皆熱

心に律法を守っています。この人たちがあなたがたについて聞かされているところに

よると、あなたは異邦人の間にいる全ユダヤ人に対して『子供に割礼を施すな。慣習

に従うな』と言って、モーセから離れるように教えているとのことです・・・。」こ

う言ってヤコブは、パウロが律法に忠実であることを示す独特のパフォーマンスをす

るようにと要求するのです。ここで、ヤコブを中心とするユダヤ人キリスト者と異邦

人教会との覆いようもない裂け目が見えます。あくまで律法に固執するユダヤ主義者

と、「もし人が律法のおかげで義とされるならば、それこそ、キリストの死は無駄に

なってしまいます」とか「もし割礼を受けるなら、あなたがたにとってキリストは何

の役にも立たない方になります」というようなパウロの立場と、ここには書かれてい

ないことがあります。パウロと異邦人の教会を代表する人々が、各々の教会からエル

サレムの貧しい聖徒のために多額の献金をもたらしたはずなのですが、そのことにつ

いての反応は何も書かれていません。パウロの壮大な和解の業は不発に終わったので

しょうか。一方的な律法遵守の要求だけが押しつけられると言った具合です。ところ

が、パウロは唯々諾々と、そのヤコブの要求に従っています。ナジル人の誓願のささ

げものを引き受けることなど、もことにささいな律法を守ることに同意して忠実にそ

のことを実行したのです。「ユダヤ人にはユダヤ人のようになった。ユダヤ人を得る

ためです。律法に支配されている人には、わたし自身はそうではないのですが、律法

に支配されている人のようになりました。律法に支配されている人を得るためです」

と言っているとおりに。主イエスによって罪を赦され、和解をもたらすものとして生

きると言うことは、このようなことか、と改めて悟らされます。


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