使徒言行録23:12-32
パウロをエルサレムの最高法員で裁くことに失敗したユダヤ人たちは陰謀を巡らし て暗殺計画を立てましたが、その計画をパウロの甥が知るところとなり、パウロはカ イサレアに護送される。約束されたローマへの道はこのように不思議な形で開かれて ゆきます。この短い章の中で「陰謀」をあらわすギリシャ語が4通りも使われていま す。「陰謀」とは、「二人以上の者が犯罪行為を謀議すること」ですが、これを表す 言葉が4通りもあるということは、それほど陰謀は人間社会の中に深く根付いている ということでしょう。福音は陰謀社会とは無関係の清明なところで生きるのではなく、 まさにそのただ中に置かれています。陰謀をめぐらしてパウロを暗殺しようとした4 0人以上もの人々は熱心な信仰者でした。民と律法と神殿を無視することをいたると ころで教えているパウロをこの世から抹殺しようと考え、その行動は犯罪的であるこ とを知りつつそれを実行しようとしたのです。パウロを殺すまでは一切の飲食を断つ、 と大層な誓約をして・・・。なぜあえてそうしようとそたか。彼らには信仰があった からです。民と律法と神殿とを神聖化する信仰があったからです。それらは生きた神 との出会いを支えるものであるはずですが、それらが硬直化し偶像化されるとき自己 絶対化、閉鎖された社会、他者の排除、他者の生命の重さへの無感覚が生じます。「 陰謀」は権力者の起こすものであれ、反権力者が起こすものであれ、このように信仰 と偶像礼拝と深いつながりがあります。パウロの場合は陰謀の対象でしたが、その関 係は容易に逆転して、キリストの信仰ゆえに陰謀を正当かすることも起こりうること を思わされます。信仰者は、このような信仰の偶像化、閉息を撃ち破ることができる ものを信仰自身の中に持っているかどうかが問われます。聖書の信仰は、「主イエス ・キリストの恵、父なる神の愛、聖霊の交わり」から祝福と生命をいただいているこ と、それによってたえず自己検証をすることを教えています。 パウロを救出した神の摂理の不思議をここで思わずにはいられません。パウロの甥 の存在、千人隊長の果敢な決断、470人の大編成による護送、闇の中を行くパウロ は主の光に照らされて歩んでいます。ここで注意しなければならないことは、パウロ の信心の力がそのような不思議を創成したのではないということです。ここでパウロ は全く受動的です。主の御手がパウロを救出すべくそのように働いたということです。 摂理を信じると言うことは、このようなことをいうのです。