10月6日
2002年10月6日

「正義・節制・来るべき裁き」

使徒言行録24:17-27


 ローマ総督フェリクスの前でパウロの弁明の続き、それを聞いたフェリクスはパウ

ロの無実を確信しますが、裁判を引き延ばしてそのまま2年間もカイサレアにパウロ

を拘禁したまま次の総督ポルキオス・フェトウスに引き継いでゆく、ここに主イエス

・キリストによって与えられた復活の希望について聞いた世俗的な人間、あまりにも

世俗的な人間の典型がいることに気付かされます。

 フェリクスはパウロを裁くローマ総督として圧倒的な優位に立つ自由な人間、そし

てパウロは不自由な囚人です。しかし、囚人パウロの語る復活の希望を聞いて、それ

にどのように対応しているかを観察するとき、フェリクスの持っている自由さのまこ

とに危うい姿が浮き彫りにされているようです。彼は老練な政治家としての手腕を示

します。パウロの無罪を知りつつも「千人隊長ルシアが来るのを待って判決を下す」

といって裁判の延期を計りますが、それは明らかに、ユダヤ人をうまく治めるための

政治カードとしてパウロが利用できると読んだからでしょう。「フェリクスはこの道

についてかなり詳しく知っていたので・・・」とルカは注釈をしています。彼は、ま

たユダヤ人の妻ドルシラと一緒にパウロの話を聞くためにしばしば呼び出したと記さ

れています。そして正義・節制・来るべき裁きについて聞くと不安になったと記され

ています。彼のことについて伝える他の歴史家とは違って、フェリクスは鉄面皮の圧

制者ではなく、良心の呼び声に無関心ではいられない人間として描かれています。妻

のドルシラはフェリクスの三人の妻の一人でヘロデ・アグリッパT世王の末娘です。

フェリクスはユダヤの宗教と文化に特別の関係を持ったローマの総督、しかも解放奴

隷出身の総督です。キリスト教の信仰について興味を持ち、希望としての復活を聞き、

正義、節制、来るべき裁きを聞くとき、それが希望と信仰へと飛躍しないで、不安に

なり、それ以上は聞こうとしないという心の揺れ。伝道者パウロは確かにこのフェリ

クスにとって最も必要な福音のメッセージを伝え、彼の中の良心の呼び声に目覚めさ

せています。しかし、その呼び声を誠実に聞いて、確かな希望に到達する前に、パウ

ロから金をもらいたいという下心からしばしば呼び出して話を聞いたという凡庸な権

力者に戻ります。一本の柱で貫かれている強靱な精神、純粋で清らかな精神、大きく

ゆだね明け渡す信頼とは程遠い、どちらともつかず悩みの多い平凡な人間が福音にふ

れている姿をルカは容赦なく描いています。不自由な囚人パウロの福音はこのような

世俗的な人に対して語られます。

 福音は、まさに、このような世俗的な世界の中で世俗的な人間であるわたしたちに

語られます。わたしたちの中から飛躍的な信仰が生まれるのではなく神のあわれみの

医薬に救いを求める以外に道はない人間として。


秋山牧師の説教集インデックスへ戻る

上尾合同教会のホ−ムペ−ジへ戻る