11月17日
2002年11月17日

「光を告げる者、悔い改めの宣教者」

使徒言行録26:19-32


 使徒パウロがローマ総督フェストゥスやユダヤの王ヘロデ・アグリッパ、その妻ベ

ルニケ、町の主だったもの立ちの前で語った弁明の言葉は、使徒言行録からわたした

ちが聞く最後の福音のメッセージです。これ以後はローマへの旅の記録で終わってい

ます。ここで、パウロはダマスコ途上で聞いた幻の声が幻のように漠然としたもので

やがて忘れ去られるようなものではなく、ますますはっきりとして来る神の全人類を

救う計画があったことを明らかにしています。「彼らの目を開いて闇から光に、サタ

ンの支配から神に立ち帰らせ、こうして彼らがわたしへの信仰によって罪の赦しを得、

聖なるものとされた人々に恵の分け前にあずかるようになるためである」、パウロは

このように彼に呼びかける復活の主の語りかけを聞き、そして、「天からの幻に逆ら

うことができず、ダマスコにいる人々をはじめとして、エルサレムの人々とユダヤの

全土、そして異邦人に対して悔い改めて神に立ち帰り、悔い改めにふさわしい行いを

するようにと伝えました」、という傷害が始まったのです。これらの言葉によってパ

ウロの福音理解が要約され、わたしたちが証しし全世界の人々に伝えなければならな

い福音の構造が何であるかを知ることができます。ユダヤ人にも異邦人にも悔い改め

て神に立ち帰るるように勧める・・・。ひとはそれぞれ自分に満足し、自分の誇りの

中で生きているのに、どうして悔い改めを迫らなければならないのか。それぞれの民

は自分の神を持ち、自分の文化の中で自分の場所を見出して生きているのに、どうし

て神に立ち帰ることを迫ることができるのか。それがどうして異邦人にもユダヤ人に

も闇から光への解放の体験になりうるのか。閉ざされた信仰から全世界の人々への福

音の宣教者となる突破口は、復活の主の呼び声を聞いたというところにあります。救

い主として世に遣わされた方が、すべての人の罪を負って十字架につけられ、罪を引

き受け、その方が復活して赦しを宣言しておられる、その確固たる人格の呼び声を聞

いているのです。その声は、自分の犯した罪をゆるすことばとして自分の中に留まる

べきものではなく、全世界に宣べ伝えられるべき使信、しかも、それはモーセと預言

者によって証しされた神の約束の成就として、神の救済の歴史全体の中心的な出来事

を伝えるものとして語られ、そのように聞き取っています。わたしたちも、また、い

ま復活された主イエスからそのような促しを聞いています。

 パウロの弁明を遮るフェストゥスの大きな叫び、「パウロ、おまえは頭がおかしい。

学問のしすぎで、おかしくなったのだ。」アグリッパ王のパウロの問いかけに対する

答え、「短い時間でわたしを説き伏せて、キリスト信者にしてしまうつもりか。」二

人ともパウロの弁明を聞いて彼の無罪を確信しただけでなく、その語る福音に心を揺

さぶられたのは確かです。自分に対する問いかけとして聞いたのです。しかし、自分

の枠の中に取り込んだだけで、応えて歩み出すことのない人間の姿をよく示していま

す。


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