12月15日
2002年12月15日

「ローマでの宣教」

使徒言行録28:17-31


 使徒言行録は、囚人パウロがローマに到着し、そこで二年間家を訪れるものを「だ

れかれなく歓迎し、全く自由に、なんの妨げもなく神の国を宣べ伝え、主イエスにつ

いて教え続けた」ことを伝えて終わっています。ペンテコステにはじまった教会が、

「エルサレム、ユダヤとサマリアの全土、また地の果てに至るまで、わたしの証人と

なる」と約束された通り、地の果てならぬ世界の中心ローマにまで福音が到達し、そ

こからまた世界中に証人たちを通して伝えられてゆく体制が整っていったことを明ら

かにしています。わたしたちも、この証人たちと一緒に旅をし、主イエスの復活を伝

える福音が世界にふれ、熱を生み出し、教会を立ててゆくさまを見てきました。福音

に生きるものの迫力、知恵、現実的な労苦との取り組み方を学んで、福音に生きる覚

悟と勇気を与えられてきました。

 二年間のパウロのローマでの働きについては、ただローマ在住のユダヤ人社会の長

老たちを招いて、皇帝に上訴した囚人としてここにいることについての弁明と、神の

国の福音を今一度、彼らに伝えたことだけを記しています。長老たちは信じて受け入

れるものもいたが、信じないで拒むものがいて、立ち去ろうとした時、「この神の救

いは異邦人に向けられました。彼らこそこれに聞き従うのです」と語った。このよう

な展開は、これまでの伝道旅行の中で幾度となく繰り返されたパターンと同じで、神

の救いが、選民であるユダヤ人から異邦人の方に向けられてゆく道筋がここでも確認

されています。

 ここで、パウロが、「イスラエルの希望のゆえに」自分は鎖につながれ、囚人とな

っていると語っていることは注目されます。希望は本来閉ざされている世界から解放

された世界へ導くもの、暗闇から光へ、鎖に繋がれた状態から自由へと羽ばたかせる

ものです。鎖に繋がれたものが希望を語る、鎖に繋がれた自分をさらしながら希望を

伝える、というアイロニー。ここで語られている希望、パウロをここまで連れ出し、

このように燃やし、大胆に語らせる希望とは何か。それは、「されど、神の言葉は繋

がれたるにあらず」と語ることのできる信仰、生きて働く復活のキリスト、「肉によ

ればダビデの子孫から生まれ、聖なる霊によれば、死者の中から復活によって力ある

神の子と定められた」主イエス・キリストであるに違いありません。パウロの鎖は、

主イエスにあって与えられる希望を語るための道具になっています。

 使徒言行録の最後に語られるべくして語られていないことがあります。パウロはロ

ーマのキリスト者たちとどのような関係を持ったか、どのようにローマ教会の建設に

関わったか、ということと、二年後にどうなったかということです。ネロ皇帝の下で

処刑されたと伝えられており、ルカはそれを知っているはずですが、何も語っていま

せん。神の国の福音を自由に、なんの妨げもなく語り続けることをもって終わってい

るのです。


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