19980222
1998年2月22日

「恵みの教育力」

テトスへの手紙2章1−15


「実に、すべての人々に救いをもたらす神の恵みが現れました。その恵みは、わた

したちが不信心と現世的な欲望を捨てて、この世で思慮深く、正しく信心深く生活

するように教え、また祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、私たちの救

い主であるイエス・キリストの栄光の現われを待ち望むように教えています。」

 テトスの手紙が宛てられているクレタの教会は「クレタ人はいつもうそつき、悪

い獣、怠惰な大食漢だ」と、ことわざに言われるクレタです。そこにある教会のさ

まざまな構成員に対して、「酒におばれてはいけない」とか、「暴力をふるっては

いけない」とか、まことに庶民的ないましめが教えられています。全体としてみる

と健全な教えに従い、正しい良心に照らされて上品で思慮深く生きるようにという

牧会書簡独特の奨めがなされています。個々の良い行いや一時的な情熱的な行動よ

り継続的な愛の行為に熱心で、人格全体がよく統御された状態の人となるようにと

いうのです。

 このような生活規範、生き方のすすめは内容的には当時のギリシャの哲学者によ

って勧められた生き方と大差はありません。また現在どこの社会においても大事だ

とされている生き方です。問題は、何が人をそのような健全さ、思慮深さに向かわ

せるかということです。ここでいささか唐突にケリュグマ(使徒から伝承されたキ

リスト教の教えの要約)が出てくるのです。

 何が人を健全に思慮深くするのか、人を内側から造り変え、静止的にではなく動

的に良い方向に向かって歩み出させるものなのかについて、それは「神の恵みが現

れ、神の恵みが教える」というのです。「すべての人々に救いをもたらす神の恵み

が現れた」という言い方は、ローマの皇帝礼拝のなかで使われたことばだと説明す

る人がいますが、非常に重々しい響きと輝きを感じさせます。ここでは従って、わ

たしたちが健全で上品で思慮深く生き、信仰と愛と忍耐をもって生きるために、神

の恵みの衝撃がなければならない、いや神の恵みがそのように現れたというのです。

神の恵みの衝撃が不信心とこの世的な欲望を捨て去らせ、キリスト・イエスの来臨

を待ち望ませるようになる。恵みが現れたことによって、その恵みにより頼んで生

きるところから、恵みから生きることへと教えられる。このように「恵みの教育力」

が言い表されているのです。ここであらわされた衝撃的な恵みは、「キリストはわ

たしたちのためにご自身を与えてくださった」ということです。
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