申命記6:1-15;ヨハネによる福音書15:1-17
ニケヤ信条の最初のことばは「わたしたちはただひとりの神を信じます」ということ ばからはじまります。神を唯一の方と信じることはどのようなことか、その信仰によ ってわたしたちの生活はどのような益を受け、どのように方向づけられるのでしょう か。 神が唯一の方であること、神ならぬ神、偶像を礼拝してはならないことは十戒の第 一戒にいましめられていること、また「聞け、イスラエルよ」にはじまる主イエスが 最も大事な戒めといわれたことばも、「われらの神主は唯一の主である」と語ります。 ニケヤの信仰告白は、「わたしは主、わたしはのほかに神はない」と圧倒的な勢いで ご自身を表される神にたいして、応答して、この神に従うことを表明しています。わ たしたちは八百万の神々が支配する国に住んでいます。「唯一絶対の神を信じる一神 教の信仰は他社を排除する考えで『文明の対立』を招く。今世界に必要なのは、すべ ての森や山には神が宿るという多神教の思想である」というような考えが公にされる ような世界です。多神教の思想が戦争をしない思想であるかどうかの歴史的検証が欠 落していることを指摘する以上に、人間が想像するだけの数の神々をつくり出して行 く世界の中で、唯一の神を信じることはどのようなことかを明らかにし、平和をつく り出す歩みを証する必要があります。 まずはっきりしておかなければならないことは、この信仰は、神は唯一か多数か、 あるいはどちらが政治的に有効かと森の中のライオンの数を数えるような思想ではな らないということです。「聞け、イスラエルよ」の戒めは、神が唯一であることの主 張に続いて、「心を尽くし、魂を尽くし、力を尽くして、あなたの主を愛しなさい」 といわれます。世界を造り、命を与え、真実を尽くしてわたしたちに祝福を与えてく ださる主、奴隷の家から導き出してくださった主が明らかにされたことに対して、真 実に全人格で応答しなければならないと教えているのです。したがって、神を唯一と 信じ告白することは、自然観察の結果ではなく、神のわたしたちに対する存在のあり 方に即応して、わたしたちが真実に生きる生き方を明らかにすることです。 ニケヤ信条を生み出した初代キリスト教会の教父たちの思いには、この神の真実は、 御子イエス・キリストにおいて父が示され、また聖霊の働きによってわたしたちの心 に刻まれる、この三位一体の神によって唯一の神を信じることができるということを 理解する必要があります。ヨハネによる福音書に、「あなたたちは人の子を上げたと きにはじめて『わたしはある』ということ・・・がわかるだろう」(8:28)とい う不思議なことばがあります。「人の子を上げるとき」とは主の十字架の死と復活の 時を示していますが、主イエスのわたしたちにのために与えられた命につながってい るとき、はじめてわたしたちも唯一の神を信じますと告白することができるのです。 そして、それによって永遠の命に至る身を結ぶものとなるのです。