03月16日
2003年3月16日

「天と地の創造者」

創世記1:1-2:4a;ヨハネによる福音書1:1-18


 ニケヤ信条は、神を「唯一の全能の父」と信じ、また「天と地、見えるものと見え

ないものの創造者」であると告白します。信仰者の生活は、わたしたちの心の中だけ

でなく「天と地」、宇宙全体に広がるもの物質的な世界、霊的な世界に関わること、

その領域の広がりがこの告白によって示されます。神の圧倒的な主導と髪の創造の意

志によってはじまった、ということは、すべてのものはそれ自体が神ではない、すべ

てが偶然に存在するのではなく、神の深い配慮と目的によって造られ、存在するとい

うことを意味します。したがって、天地の創造主を信じるということは、私たちが生

きる目的や意味をもっとも根本から支える土台、また、私たちがこの世界に生きるも

のとしての責任がどこにあるかを顧みる基準になります。

 聖書のはじめは「はじめに、神は天と地を創造された」という言葉からはじまりま

すが、創世記の言葉は、神が創造された天と地、そして人間について、聖書全体を貫

いている創造者である神への信仰を驚くべき深さと正確さで証言しています。1章で

は、混沌と闇に「光あれ」といわれて光が世界を照らし、光と闇が分けられ、次に陸

と海が分けられ、草や木々が生えさせられ、海の生き物、空の鳥、地の獣、そして人

間がつくられていった、と創造の次第を物語ります。はじめの一週間の作業に含まれ

ている領域の広がりに注意しなければなりません。存在するものの内、ここに含まれ

ていないものはあるか?これらの存在はすべて、神の意図と目的によってあると考え

ることができるということはなんと幸いなことでしょう。

 また、神の創造には順序があり秩序があります。物理学が教える宇宙の成り立ち、

生物学が教える生物の進化の過程にも似て、すべては無秩序に混沌としてあり、互い

が殺しあい滅ぼしあう関係に造られているのではないのです。すべての存在は「こと

ば」によって造られ、言葉をうちに秘めています。「ことば」と「ことば」は呼応し

合い、それぞれのいるべき場所で存在し生きています。そして、その「ことば」のう

ちに響いているのは、「神はそれを見てよしとされた」です。神の愛と真実がすべて

造られたものを貫いて秘められており、すべての造られたものは神を賛美することが

できるのです。

 創造の最後は人間です。「神はご自分にかたどって人を創造された」という驚くべ

き言葉が語られます。被造世界のなかに創造者のかたちを映すものを造られたという

のです。神のかたちを映す男と女、これに被造世界を治めさせるという特別な尊厳と

自由が与えられ、責任を持つものとされました。造られたものとして人がこの責任を

果たす世界は、「神はお造りになったすべてのものをご覧になって、見よ、それはき

わめてよかった」のです。私たちの生きる目的や意義をこれ以上のものとして描くこ

とはできないでしょう。これ以下のものでもないのです。


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