03月23日
2003年3月23日

「神の栄光をあらわす劇場」

ヨナ書4:1-11;ローマの信徒への手紙8:18-30


 わたしたちは天と地を神が造られたと信じ、告白します。この世界は「神の栄光を

映し出す劇場」とカルヴァンはこの信仰を表現しましたが、そこで行われているドラ

マが見えるようになるために、創造主との出会い方を知らなければなりません。旧約

聖書のコミック・ドラマ、ヨナ書を読んで腹の底から笑い転げることができたら、す

こし神の創造された世界の中で生きることを学ぶことができるでしょう。イラクの町

ニネベに遣わされた預言者の話です。

 ヨナが最初に海と陸を造られた神の信仰を表明するのは、ニネベに行くことを拒み、

船に乗ってタルシシュへ逃れようとして嵐に遭い、神の命に背いて船に乗っているこ

とを白状させられたときです。「ヨナは、神に背いて自分を頼りに生きようとすると

き、創造主である神とこのように自分の前に立ちふさがる恐ろしい御手として出会っ

ています。こうして、わたしたちも、自らは海も陸も造ったのではないこと、自分の

命の主人ではないことを思い知らされるのです。

 ヨナが創造主と出会う第二ステージは、「魚の腹の中」「陰府の底」「地はわたし

の上に永久に扉を閉ざす」という状況においてです。しかし、ここでは不思議なほど

明るい希望に満ちた感謝の調べがその口からあふれています。「わたしが叫ぶと主は

答えてくださった」「わたしの祈りはあなたに届き、聖なる神殿に達した」と。人の

目に絶望、出口無しと思えるところ、そこにいる人にも神の耳は聞かれており、見て

くださるという体験をしているのです。

 第三のステージは、ニネベの人々がヨナの言葉を聞いて、神の前に悔い改めを見た

ヨナが、神様に対して怒ってものをいうところです。ヨナは神のようにニネベの人々

に語り、神の言葉としてヨナの言葉に心を動かされた。神はその悔い改めの姿勢を見

て滅ぼすことを思い返された。それ故にヨナは怒った。なぜ怒ったのでしょう。ヨナ

は神の二面性、怒り裁く神と真実のあわれみの神、この大きさについていけないので

す。それを神はどのように使い分けられるのかが分からないのです。神の度量の大き

さを虞れ、また感謝するのではなく、ヨナは自分の大きさを神に合わせようとします。

そこにヨナの怒りの根源があるでしょう。

 第四のステージは、とうごまを備えて、繁って豊かな日陰を提供している時、枯れ

てしまう時を経験させます。そこでもまたヨナは神に対して怒るのです。「お前は自

分で苦労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとう

ごまの木さえ惜しんでいる。それならばどうして、わたしがこの大いなる都ニネベを

惜しまずにいられようか」。この神の「惜しむ」という言葉の中にある無限の広がり

と深みをもった愛のひびき、これが聖書全体を貫いている創造者である神の本質です。


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