04月06日
2003年4月6日

「神の像として造られた人間」

詩篇8:2-10;コロサイの信徒への手紙1:9-20


 神によって造られた天と地、神の摂理の御手によって今なお保たれている世界を信

じることは、その世界の中にいる人間に対する関心に向かいます。神の創造された世

界の中で、人間とは何者なのか、この問いは21世紀を生きるわたしたちにも緊急の

課題です。それは、わたしたちが人間であるということだけでなく、この世界は人間

がはびこることによって世界を壊滅の危機に陥れているからです。

 「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。

  月も星も、あなたが配置なさったもの。

  そのあなたが、御心をとめてくださるとは、

  人間はなにものなのでしょう あなたが顧みてくださるとは」

この詩人の「人は何ものなのか」という問いは、ある認識と発見、驚きに発していま

す。大きな宇宙のひろがり、夜空にまたたく光の中で、自分の小ささ、また自分の思

いの広がりによって世界をもその中に入れることができる人間の大きな可能性、この

極大と極小の中間にいるわたしという存在、このことへの目覚めが、この詩人の驚き

の原点ではありません。この世界を造られた「あなた」が人間であるこのわたしを「

御心にとめてくださる、顧みてくださる。しかも、神が造られた世界をおさめるべく

大きな責任を委ねてくださっていること、これが驚きの源泉です。このような詩人の

驚きが発する、「人の子は何ものなのでしょう」という問いに、ヘブライ人ではない

わたしたちも、深い共感と人間を理解する深いまさざしを与えられます。人間が理解

する人間ではなく、創造者によって顧みられている人間と言う不思議な視野が広がっ

ています。

 このような詩の背景に、あの創世記の「神の像」として造られた人間という想像の

信仰があります。「我々にかたどり、我々に似せて、人を造ろう。そして海の魚、空

の鳥、家畜、地の獣、地を這うすべてのものを支配させよう」という神の語りかけに

よって、人間は造られた、との信仰が生み出す視野です。ここには神の特別な決意の

もとに、究極の被造物として男と女が造られたこと、神が「あなた」と呼び掛ける唯

一の生き物、という認識、など、人間の本質を深くとらえる驚くべき洞察が短い言葉

の中に表現されています。神の像としての人間、神の像の喪失、神の像の現れとして

イエス・キリスト、人間における神の像の回復、とこれから信条を学んでいく中で、

キリスト教の人間理解の教理がこの線で展開されるのを見ることができます。

 人間とは一体何ものなのか、と詩人と共に問い、神の像として造られたという神の

まなざしに驚くことができたら、世界は違って見えるはずです。失われてしまったそ

の輝きを回復することに向かって動き出します。


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