創世記11:1〜9、;マタイによる福音書21:12〜17
ニケヤ信条の第一項、天地を造られた父である神を借じるとの告白から、第二項、 御子イエス・キリストを信じるとの告白にいたるまでに、神と人間との関係を表わす 基本の構図のことが語られなければなりません。そこでは、祝福に満ちた究極の披造 物である人間についてだけでなく、基本の位置から堕ちてしまっていることについて の物語も聞かなければなりません。キリスト教の 教理は、創世記のはじめの11章に記されているさまぎまな物語を通して、人間が神 に背き、どれはどその本来の位置から遠く離れてさまよいさすらうものになっている かを教えます。 神によって造られた人間の第二世代はカインとアペルです。ここで人類最初の「兄 弟殺し」の悪がはじまっています。その悪は神を礼拝する中かちはじまっています。 「カインは土の実りを主のもとに捧げ物として持って来た。アペルは羊の群れの中か ら肥えた初子を持ってきた。主はアペルとその捧げ物に目を留められたがカインとそ の捧げ物には目を留められなかった。カインをは激しく怒って顔を伏せた。」カイン の殺意は、まず、アペルに対してではなく、神に対してであり、捧げ物を顧みられな かったことに対する怒りから発しています。どうして怒るのでしょう。どうしてアペ ルに目を留められたことを共に喜ぶことができないのでしょう。自己へのこだわり、 神さえも自分の枠の中に入れようとする心、ここにアダムとイヴの中にあるのと同じ 思い、「神のようになりたい」が貫かれているのを見ることができます。その結果は、 兄弟殺し、そしてのろいを受けて地上をさまよいさすらうものとなるのです。 次はノアの洪水物語ですが、「主は地上に悪が増し、常に悪いことばかりを心に思 い計っているのをご覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」 という言葉から始まっています。洪水によっても、残されたノアの家族から罪の系譜 は絶えることがありません。バベルの塔物語では、神によって造られた人間が高い文 化を持っています。レンガを造りアスファルトで固めて都市を造る技術、なによりも、 全地に散ることがないように、孤立を乗り越えて、統一した社会を造る秩序の感覚が あります。しかし、これによって天にまで届く塔を造り、有名になる、という共同願 望、ここに「神のようになりたい」おなじみの根から養分を吸い取っている人間の姿 があります。神はこれをみて言葉を乱され、全地の面こ散らされたのです。創世記の 創造物語は、このよう歴史を描いているのです。