出エジプト記19:1-15 ローマ3:21-26
旧約聖書は、アブラハムに始まる神の呼びかけに応えて歩みだす民の歴史が描かれ ていますが、出エジプトを経験したイスラエルがシナイ山で「律法」を神から与えら れ、神との契約を結んだことによって、神と人との関係のあり方の基本の構造が定ま ったと見ることができます。これを「シナイ契約」といいますが、ここで与えられた 「契約と「律法」(十戒)によって、聖書が証しする神の本質的な性格があらわされ ています。 「契約を結ぶ」ということばの原語は不思議な組み合わせです。「契約」は「結ぶ」 という意味、「結ぶ」は「切る」という意味、この相反することばが組み合わされて います。契約によって約束し結ばれた関係が破られると、切り裂かれ血を流すことに なるという警告が込められているのです。もっと不思議なことは、神と人とが「契約」 の関係をもつということです。人と人は土地や物を売買するとき、また結婚などのと き「契約」によって約束と関係を確かにするのは当然です。しかし、全能の神と人と が「契約」するといわれているのです。ご自分を縛っておられる。しかも、人から言 い出したのではなく、神のほうから契約を申し出ている。ここに聖書の神の不思議が あります。つまり、神は罪の中で流浪する民のところへ低く下り、ご自身を契約の関 係におかれるほどにへりくだらせておられる、私たちは何よりもこのことを深く学ば なければなりません。圧倒的な恵みを示された神が、その関係を確かにするために 「契約を」を結ばれる、これが神との「契約」の本質です。 「律法」は神の恵みの契約に応答する人間の側の行き方が示されています。それに よって、神のかたちに造られた人間の本来のあり方を回復する道筋が示されています。 聖書の宗教は、神との交わりのかたちを考えるとき「律法」を中心に据えていること を理解することは重要なことです。それは、人間の断片的思弁や情緒的興奮、美的感 覚よりも生活全体を巻き込む性格のものです。「信仰」と「日常の生活」が不可解に 結びついているのです。そして、その律法の本質は愛であり、知恵であり、秩序であ ることが一つ一つの戒めを深く検討することによって分かってきます。 新約の福音、「イエス・キリストを信じることにより、信じる者すべてに与えられ る神の義」(ローマ3:21)の奥義が理解されるために、まず、この契約と律法に よって示された神の恵みの本質、愛と秩序の神、それに対応して生きる人間のことが しっかりと捉えなければなりません。