06月29日
2003年6月29日

「代々に先立って父から生まれ」

ヨブ記38:1-18;コロサイ1:9-20


 わたしたちが信じる主イエス・キリストは、「代々に先立って父から生まれた方」

と告白され、称えられます。これは、福音書に記されているような言葉を語り、行動

し、十字架によって刑死されたナザレのイエスが、歴史的な存在であると同時に永遠

性を持つ者、歴史を超える存在であることを告白しています。「わたしは世の終わり

まであなたがたと共にいる」と約束してくださった主イエスの存在は、「世の終わり」

へと拡大されるだけでなく、「代々に先立つ」方にも拡大されて、「イエス・キリス

トはきのうも、きょうも、また永遠に、変わることがない方です」と言う告白に至り

ます。こうして、やがて死すべき、刹那的な存在であるわたしたちは、永遠性を持つ

主イエスとの関わりにおいて生きる者となります。

 ニケヤ信条が定式として成立することになった背景には、4世紀の教会の中で猛威

を振るったアレイオスの異端があります。アレイオスは主イエスについて「御子は一

個の被造物。神のうちにある知恵によって生み出されたものではあるが、それはすべ

ての被造物がそうであるのと同じ。したがって神は常に父であったのではなく、神が

父でなかった時がある」と教えました。主イエスの人間性を強調して、その神性を認

めようとしなかったのです。アタナシオスを元多くの教父たちは、聖書の証言に従っ

て、主イエスが存在しない時があったと言う考えに「否」を唱えたのがこの告白の言

葉です。わたしたちがこのような告白に接し、その告白に加わる時、そこではただキ

リストの超人性、神秘性を理性的な判断を殺して信じることではありません。キリス

トの「先在性」−代々に先立って生まれたことは、人間となってわたしたちに見える

ものとなった主イエス・キリストの低く卑しい姿があらわしている「恵み」にふれる

とき、その讃美の告白に加わるものとなります。「父よ、わたしに与えてくださった

人々を、わたしのところにおらせてください。それは天地創造の前からわたしを愛し

て、わたしに与えてくださったわたしの栄光を彼らに見せるためです。」(ヨハネ17:

24)と主は祈られます。主の栄光は、自らを誇らせる栄光ではなく、わたしたちにそ

の栄光を見せ、その栄光にあずからせるための栄光でした。わたしたちの「現在」は、

このキリストの永遠の栄光の中に包まれるのです。


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