199800308
1998年3月8日

「ことばに尽くせないすばらしい喜び」

ペテロの手紙T1章3−9


 ペテロの手紙は、洗礼を受ける人への励ましとすすめのことばを書いたものだと

説明する人がいますが、確かに、キリスト者としてこの世の荒波を生き抜いていく

ために必要な心備えが書かれています。キリスト者をある共通する気分=志気へと

同調させています。この手紙に於いて語られるキリスト者のこの世を生きる基本的

な気分は、警戒や用心ではありません。悲しい自己犠牲でもありません。喜びです。

「あなた方はキリストを見たことはないのに愛し、今見なくても信じており、言葉

では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています」とキリスト者の状態に

ついて言い表しています。

 この喜び、「言葉に言い尽くせないすばらしい喜び」はわたしたちの自然の感情

がもたらす喜びではありません。何か欲しいものを手に入れ、何か欠けているもの

が満たされ、何か目標が達成されたような喜びではありません。キリスト者がその

中に生きている喜びは、わたしたちの体の死とともに消滅するような喜びではなく、

死んでも尽きないような喜び、聖霊によってわたしたちの根底が照らされ、確かに

されるような喜びです。それはわたしたちの中にあるものから出てくるものではな

く、神のキリスト・イエスによる約束から出てくるもの、みことばにおいて約束さ

れたことを心に受けとめ、信じるところから来る喜びです。我らの罪のために十字

架にかかり、三日目に復活されたイエス・キリストが共にいますことに安んじて生

きるところからくる喜びです。

 このような喜びを知っている人は、「神の憐れみによって新しく生まれた人」で

あって、「生きた望み」を与えられた人、「朽ちず、汚れず、しぼむことのない天

の財産を受け継ぐ人」といわれています。どうして「新しく生まれた人」なのでし

ょうか。それは、このような喜びは、自然の感情が成長し成熟していけば獲得でき

るようなものではないからです。神の憐れみによりキリストの命にあずかって新し

く生きるときに与えられる感情であるからです。また、どうして「生きた望み」な

のでしょうか。それは試練の中でも、苦しみを受ければ受けるほど喜ぶという性格

をもっている望みに根ざしているからです。その喜びが出てくるところは、人を生

かす力を持った希望、復活の命に根ざして、生きる力を与える希望であるからです。

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