08月03日
2003年8月3日

「父と同質であって・・・」

詩編118:22-29;ヨハネによる福音書10:22-42


 ニケヤ信条の中で最も注目しなければならない言葉はわたしたちの主イエス・キリ

ストが「父と同質」と言い表わされているところです。原文では「ホモウーシオス」

と言うギリシャ語ですが、これは外形の姿かたちは違っても同じ実質、あるいは本質

を持つと言うことで、父・子・聖霊が「三位一体」と言うときの「一体」をあらわす

ことばです。これは聖書にはないことばですが、このことばによって主イエス・キリ

ストの真の性格を正しく表現しようとしています。まさにここで、同じ旧約聖書から

でたユダヤ教やイスラム教との違いが明らかになります。すなわち、ユダヤ教の人た

ちも唯一の神を信じメシアが到来することを願って祈りますが、キリスト者はメシア

的な働きを期待するだけでなく、キリストに向かって祈るのです。イエス・キリスト

において神が啓示され、キリストは神の御子、父と同質の方であるからです。唯一の

神の中にある父・御子・聖霊の働き、イエス・キリストの人となり、わたしたちの苦

しみや悲しみを知り、多くの人の罪を担って十字架の死を遂げ、死者の中から復活さ

れたその歩みは天の父、そして、聖霊の共なる歩みであり、神の側の働きにおいて、

わたしたちの救いは全うされていることを明らかにします。これがキリスト教の福音

の本質です。

 多くの異端的なキリスト理解が錯綜する中でニケヤの教父たちが「主は・・・光か

らの光、まことの神からのまことの神、造られたものでなくて生まれ、父と同質」と

の信仰を堅持した根拠の一つはヨハネ福音書の10:30の「わたしと父とは一つであ

る」の主イエスの言葉でした。これがどのような文脈で何を語ろうとしているかを知

ることは、「父と同質」と表現したことの奥行きを少し知ることができるでしょう。

ユダヤ人たちの求めるメシア像と主イエスが示されるメシア像との大きな隔たりが問

題になっているところです。力による解放を期待するのに対して主はよい羊飼いであ

るメシアを示します。羊のことを知り、そして、羊のために命を捨てることによって

羊の命を守るメシア。このよい羊飼いであるメシアのこの世における在り方が、「わ

たしと父は一つ」といわれ「父はわたしの内におられ、わたしは父の内にいる」とい

われるのです。「父と同質」の言葉の重みは、まさに同質に固執することなく人とな

られたことによって確かめられます。


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