詩篇19;コロサイ1:15-20
ニケヤ信条の主イエス・キリストの告白の前半は神の御子としての性格、御父と同 質であることが強調されますが、その最後のことばは「すべてのものは主によって造 られました」です。天と地、その中に満ちているすべてのもpの、太陽も月も、植物 もすべての生き物もそして人間も、主イエスが造られたものだということです。この ように信じることは、わたしたちが常識的に考えていることを根底から覆さなければ ならないことを教えられます。まず、御父と御子との関係についてです。御父が創造 し御子が救済するという関係ではないのです。御父も御子も、ともに世界の創造主で す。旧約の神と新約の神は対立するのではなく、また一方が他方を修正ないし更新す るのではなく、「御子は代々に先立って生まれ、すべてのものは主によって造られた」 といわれるのです。また、主イエスによって世界が創造されたということは、わたし たちが造られたものとキリストとの関係も、まずわたしたちの問題、罪や死、悩みが あって、そのためにキリストが存在するという関係ではありません。わたしたちの根 源、始源、出発点はキリストにあります。 このように一見アナクロニズムと思われるような考えをわたしたちはどのように理 解したらいいのでしょう。世界のはじめはキリスト!。新約聖書の中でヨハネ福音書 のはじめのことばやヘブル書のはじめにキリストによる世界の創造のことが語られて いますが、もっとも丁寧にそのことを伝えているのはコロサイ書のキリスト賛歌です。 「御子は見えない神の姿であり、すべてのものが造られる前に生まれた方です。見え るものも見えないものも、王座も主権も、権威も万物は御子によって造られたからで す。つまり、万物は御子によって、御子のために造られました」と記されています。 興味深いことに、この世のはじめに生まれたキリストは、世界を創造されたというだ けでなく、「死者の中から最初に生まれた方」であって、十字架の血によって万物和 解された方であるのです。わたしたちの救いは救済者の恵みによるものですが、救済 者は創造者でもあられる、このような意味で、主イエス・キリストは「主の主、王の 王」として礼拝されます。主イエス・キリストのこのような究極性と始源性を認める ことが、この世の力に圧倒されてしまわない秘訣だと知らされます。