11月30日
2003年11月30日

「死者の国への宣教」

イザヤ書14:3-17;ペテロの手紙一3:18-4:6


 ニケヤ信条の中になく、使途信条の中にあることば、「陰府に下り」と記されてい

ることについて触れておきたいと思います。キリスト者の死と死後のことについての

進行の在り処が、この言葉によって明らかにされているからです。

 「陰府」とは、死者の国、すなわち、生きているものが死ぬとみなそこに行く所、

つまり墓です、ヘブル語では「シェオール」、ギリシャ語では「ハデス」といいます。

詩篇88編には、この状態を「力を失い、穴に下り、汚れた者とみなされ、影に閉ざ

された所、暗闇の地」と表現されています。しかも、そこでは「あなたの憤りがわた

しを圧倒し、それは大水のように絶え間なくわたしの周りに渦巻き、一斉に襲い掛か

る」といわれるように、神の怒りにふれるところ、そして、「愛する者も友も、あな

たはわたしから遠ざけてしまわれました」といわれるような孤独の場所です。生物と

しての人間の死ではなく、人格としての人間の死を、これほどリアルに表現している

言葉を見つけることは難しいでしょう。陰府に置かれているものの最も深い悲しみと

嘆きは、その暗さや孤独にあるのではありません。「墓の中であなたの慈しみは、滅

びの国であなたのまことが語られたりするでしょうか」というこころ、神の命の言葉

が絶えて聞こえなくなってしまう所である、ということです。神から最も遠く離れた

所であるゆえに、光もなく、命もなく、ことばもないのです。死者の国とはそのよう

な所です。

 使途信条で、主イエス・キリストが「陰府にくだり」と告白されているのは、主イ

エスはその所にまで下られた、そこから三日目によみがえられた、ということで、主

イエス・キリストの人としての歩みの最も低い所がこれによって示されます。という

ことは、主の歩みは、生きているものには及びもつかない領域にまで、広がっている

ということです。ペテロの手紙にそのことに触れている言葉があります。その解釈に

ついて多くの議論がありますが、「霊においてキリストは捕らわれている霊たちの所

へ行って宣教されました」とか、「死んだものにも復員が告げ知らされたのは・・・

肉において裁かれて死んだようでも、神との関係で、霊によって生きるようになるた

めなのです」は「陰府」の世界にもキリストによって「福音」が告げられ、宣教がな

される、という驚くべき広がりが語られているのは確かです。


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