イザヤ書7:10-17;マタイによる福音書1:18-25
マタイによる福音書の主イエスの降誕物語は、ヨセフへの主の天使のお告げを伝え ています。ヨセフは世界中で最も孤独な男です。愛を裏切られた男。許婚のマリアの 中で何が起こっているのか、マリアは納得の行く答えをくれません。まぜ、マリアが 身ごもることになったのか、ヨセフは理解できません。マリアもヨセフも知らないで はすまされないことですが、何も分からないままにとんでもないことに巻き込まれて います。ヨセフの心の秘密の部屋は、怒り、悲しみ、誰も信じられない、誰からも信 じてもらえない、暗い闇と混乱の渦だったでしょう。この部屋の冷たさ、この部屋の 孤独を、誰が理解できるでしょう。「ヨセフは正しい人であり、マリアのことで悪評 をたてることにならないように、ひそかに彼女との婚約を解消しようとした。」この 「ひそかに」と記されている言葉に、ヨセフの自分らしさを保つギリギリの決断が込 められているようです。悲しい決断。主の天使が夢の中でヨセフを訪れたのは、まさ にこの秘密の部屋でした。 主の天使が告げたことは、ヨセフの心の暗い冷たい部屋こそ、実は、神と人間の関 係の歴史の中で最も大きな出来事、最も明るみに出されるべき喜びの知らせ、神の救 済計画の実現の時だ、ということです。預言者が証しているメシア、すべての民を救 うものの到来の出来事だと言うのです。主の天使は、聖霊のすることについての単な る傍観者であれ、とヨセフに告げたのではありません。聖霊によって身ごもったマリ アから生まれる子どもの名をつける人として、その子どもの本質を生涯にわたってあ らわす名前を知る人として、大切な働きが与えられます。 「イエス」と「インマヌエル」と、二つの名前。イエスは、ヨシュアと同じで「神 は救い」という意味ですが、面白いことに、実際には使われなかった名前の方が重要 で、マタイはこれを「神はわれわれと共にいます」という意味である、と注釈してい ます。神がわれわれと共にいます、と言うことのしるし、その実現が、この幼子の誕 生だというのです。「主が来られた」、「イエス・キリストは今日生まれた」という クリスマスの喜びの賛美は、全正解の人々の上を通り過ぎて行く叫びではなく、ヨセ フの経験したような心の闇、人間不信、怒りと憎しみの渦、心の秘密の部屋に語りか けられる知らせです。その場所こそ、全世界に告げ知らせられるべき喜びの知らせが 始まる場所、インマヌエルの場所だと。