12月21日
2003年12月21日

「神はわれわれと共におられる」

イザヤ書7:10-17;マタイによる福音書1:18-25


 マタイによる福音書の主イエスの降誕物語は、ヨセフへの主の天使のお告げを伝え

ています。ヨセフは世界中で最も孤独な男です。愛を裏切られた男。許婚のマリアの

中で何が起こっているのか、マリアは納得の行く答えをくれません。まぜ、マリアが

身ごもることになったのか、ヨセフは理解できません。マリアもヨセフも知らないで

はすまされないことですが、何も分からないままにとんでもないことに巻き込まれて

います。ヨセフの心の秘密の部屋は、怒り、悲しみ、誰も信じられない、誰からも信

じてもらえない、暗い闇と混乱の渦だったでしょう。この部屋の冷たさ、この部屋の

孤独を、誰が理解できるでしょう。「ヨセフは正しい人であり、マリアのことで悪評

をたてることにならないように、ひそかに彼女との婚約を解消しようとした。」この

「ひそかに」と記されている言葉に、ヨセフの自分らしさを保つギリギリの決断が込

められているようです。悲しい決断。主の天使が夢の中でヨセフを訪れたのは、まさ

にこの秘密の部屋でした。

 主の天使が告げたことは、ヨセフの心の暗い冷たい部屋こそ、実は、神と人間の関

係の歴史の中で最も大きな出来事、最も明るみに出されるべき喜びの知らせ、神の救

済計画の実現の時だ、ということです。預言者が証しているメシア、すべての民を救

うものの到来の出来事だと言うのです。主の天使は、聖霊のすることについての単な

る傍観者であれ、とヨセフに告げたのではありません。聖霊によって身ごもったマリ

アから生まれる子どもの名をつける人として、その子どもの本質を生涯にわたってあ

らわす名前を知る人として、大切な働きが与えられます。

 「イエス」と「インマヌエル」と、二つの名前。イエスは、ヨシュアと同じで「神

は救い」という意味ですが、面白いことに、実際には使われなかった名前の方が重要

で、マタイはこれを「神はわれわれと共にいます」という意味である、と注釈してい

ます。神がわれわれと共にいます、と言うことのしるし、その実現が、この幼子の誕

生だというのです。「主が来られた」、「イエス・キリストは今日生まれた」という

クリスマスの喜びの賛美は、全正解の人々の上を通り過ぎて行く叫びではなく、ヨセ

フの経験したような心の闇、人間不信、怒りと憎しみの渦、心の秘密の部屋に語りか

けられる知らせです。その場所こそ、全世界に告げ知らせられるべき喜びの知らせが

始まる場所、インマヌエルの場所だと。


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