3月16日
1997年3月16日

「戦いを通して祝福」

創世記14章


 アブラハムの生涯のうち創世記14章にしるされていることは特殊です。東の大

帝国の王たちの連合軍と死海のほとりのソドム、ゴモラなど小国家の王たちの連合

軍との戦争の話です。ソドムにいた親戚のロトも捕らえられて連れ去られてしまい

ました。ところが、なんと、アブラハムの家の子郎党だけで東の王たちの軍勢に襲

いかかり、ロトを救い出したばかりでなく、多くの戦利品を奪い取ったというので

す。アブラハムのこの出来事を通して、わたしたちは信仰者がこの世で祝福を受け

るということの意義について考えることができます。

 まず、東の王たちのカナンの地への遠征、これは、「産めよ、ふえよ、地に満ち

よ、地を従わせよ」という創造の時の祝福のゆがんだ形です。人間の貪欲と誇りを

満足させることの中に祝福を見いだすこの世の国は、より強く、より豊かに、より

大きくなることを求めてやみません。従ってこの祝福は侵略的・攻撃的であって、

ここには創世記ではじめての世界戦争が描かれています。神による祝福を約束され

た信仰者も、この戦争に巻き込まれざるを得ないということです。アブラハムの場

合は、甥のロトが家族財産もろとも捕らえられ、生命の危機が及んでいる、なんと

か救援しなければならないという形で、自分も戦いの中に引き込まれてゆきます。

この場合神の約束された祝福はどうなるのでしょう。

 アブラハムはこのようなとき何もしないのではありません。戦うのです。並々な

らぬ勇気と才覚をもって、敵の大軍を敗走させてしまい、未曾有の勝利、祝福を得

るのです。祝福はいのちの救い、命の輝きです。寄留者アブラムは一躍この地の王

たちのなか、圧倒的な権力者です。

 しかし、アブラハムはこのまことに危険な状況で不思議な人物に出会います。サ

レムの王、いと高き神の祭司・メルキゼデクです。メルキゼデクは、パンと葡萄酒

を持ってアブラハムらを迎え、天地の造り主であるいと高き神に祝福を求めて祈り

ます。神によってアブラハムが祝福されるように、アブラハムによって神が讃えら

れるようにと。神が人をおぼえて祝福し、人が神をおぼえて讃える、ここに祝福の

原構図があります。戦いに勝つこと、多くの財産に恵まれること、より多く、より

大きく、より豊かになるより、もっと根源的なことが確かめられたのです。敵に勝

った勝利よりももっと根源的な祝福に目覚めさせられているのです。

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