ペテロの手紙T2章1−10
キリスト者はどのような過程をたどって成長していくのでしょうか。この過程は、 もちろん自然の体の成長の過程とは違います。ペテロの手紙ではキリスト者の成長 の見取り図のようなものを認めることができます。「新しく生まれたばかりの乳飲 み子として、霊の乳を慕い求める」、「生きた石によって建てられる霊の家になる」 、「霊のいけにえをささげる祭司となる」、「選ばれた民、王の系統をひく祭司、 聖なる国民、神のものとなった民」などといった独特の比喩を使って、この世でキ リスト者の成長の方向を示しています。 「霊の乳を慕い求める」ところから「霊の家に造り上げられる」ところまでの過 程を考えてみましょう。「霊の乳」は、具体的には、み言葉と聖餐のことを考える とわかりやすくなります。礼拝において、み言葉と聖餐にあずかることによって、 何の分け隔てもなく無条件の恵みとしていただくことがわたしたちを成長させます。 「あなた方が召されたのは、・・・傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血 によった」と記されているように、わたしたちを養うものはこのようなキリストの 血による神の無条件の恵みです。 このような霊の乳を求め、これによって養われることによって、「悪意や偽り、 偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去る」ことになります。これらわたしたちの心を暗 くおとしこみ、また腐敗させるものは、この世における自己保全、自己防衛の手段 ですが、たしかに、キリストの命がわたしたちを養えば養うほど、自分で自分を守 るかたくなさと不自由から解放されるからです。 このように主のもとに来て、主の恵み深いことを味わい知るところから、キリス ト者が「霊の家」に造り上げる過程がはじまります。「生きた石」であるキリスト のもとに来て、自らも生きた石として「霊の家」に造りあげられるのです。「生き た石」という言葉は、「人に捨てられたが神に選ばれた尊い石」という意味と、隅 の親石としてそれによって建物全体が建つという意味があります。捨てられること、 無価値のものと見なされることをあえて引き受けて、それが神の最も必要とされ、 最も用いてくださる方法であることを信じて働くときに、ただの石が、「生きた石」 になります。こうして一つ一つの石が積み上げられて「霊の家」になるのです。ど んな大きな建物も、それを構成しているのは一つ一つの小さな石です。沈黙し、重 荷に耐え、外の熱い熱を引き受け、あるいは冷たい空気を引き受けて、内に柔らか な快適な空気を整える、建物にはこのような一つ一つのい石によって造られていま す。秋山牧師の説教集インデックスへ戻る