3月23日
1997年3月23日

「アブラハムの信仰」

創世記15章1−6


 創世記15章はアブラハムの生涯の中で要です。

「アブラハムは主を信じた。主はそれを彼の義と認められた」。この言葉が新約の

パウロの信仰義認の教理の土台になっていますから、聖書全体の信仰の要でもあり

ます。ここで示されたアブラハムの信仰の決断によって、アブラハムは多くの子孫

の父となっただけでなく、「信仰によって生きる人は、信仰の父アブラハムと共に

祝福されている」ことの確証を与えているのですから。

 ここには、アブラハムと神との簡単な対話の出来事が記されています。「恐れる

な」との神の語りかけ、祝福の約束、次ぎに、アブラハムの鋭い抗議があります。

これに対して神の応答、「あなたから生まれる者が跡を継ぐ」。こういって彼を外

に連れだし、満天の星空を示して、「天を仰いで星を数えることができるなら数え

てみるがよい。あなたの子孫はこうなる」というのです。そこで「アブラハムは神

を信じた。神はそれを彼の義と認められた」。これが世界を動かし、世界を変えた

信仰の出来事の核心です。偉大な信仰の生涯の核心にある信仰とは、このような簡

単な神との対話です。そして、その対話の中で、神が約束してくださることに対し

て、「ア−メン」と呼応すること、そのア−メンから歩み出すことです。このよう

な神との対話の機会はアブラハムだけではなく、すべての人それぞれの人生の独特

の場面でいつでも起こること、また備えられていることです。

 信仰は簡単な盲信ではありません。激しい戦いです。「わが神ヤハウェ。あなた

はわたしに何を与えてくださろうとういのですか。わたしは子どもがありません。

家を継ぐのはダマスコのエリエゼルです。」ここで「子どもがない」というのは、

「裸」という言葉と同じです。どんなに祝福を受けてもアブラハムには裸のような

淋しさと虚ろさ、満たされないものがあったのです。その心の危急の事態が明らか

にされるとき、アブラハムはじっと空の星を見て、星の数を数えているうちに、ア

ブラハムの胸の内に、「ア−メン」ということばが鳴り響いた。約束してくださる

神の真実にたいして、たとえ今は何も約束された者が実現されている様を見ていな

いけれども、それはその通りになると考えているのです。自分の側の資格や条件、

希望を実現に至らせる過程について何も確証をもっていないけれども、それらを飛

び越えて、約束してくださる神の真実に対して、「ア−メン」といっているのです。

これが神に義とされる信仰ということです。
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