3月30日
1997年3月30日

「アブラハムの信仰」

創世記15章7−21


 復活の朝、主に出会った人たちは、十字架の主の前であらわになった裏切りや弱

気や逃亡、嘲りといった自らを限りなくむなしい者と感じさせるすべての罪は、す

でに終わったことを味わっています。復活された主が目の前におられる以上、もは

やそれらの罪は何の力も持っていないからです。

 アブラハムの信仰を集中的に扱っている創世記15章のもう一つの話。神はアブ

ラハムに3歳の雌牛、雌山羊、3歳の雄山羊、山鳩、鳩の雛をとって、鳥を除く獣

を真二つに切り裂いて、それらを対にして並べるように命じます。それらの獣の死

体で血だらけになった列の間を契約する双方の当事者が通っていくのです。これは

「契約」という、今日あらゆる社会関係の基盤になることの最も原始的な表現形式

だといわれています。もし契約を破ればこれらの獣のように真二つに切り裂かれる

ということ、そのようにしてそこで結ばれる約束は破られることがないことを双方

が確認するのです。これは信用しがたい人間同士の約束を信用するに足るものにす

る儀式です。しかし、ここでは主なる神がご自身が、身を乗り出して、主ご自身が

契約の当事者として切り裂かれた血だらけの道を通られた、ここがポイントです。

「日が沈み、暗闇に覆われたころ、突然煙を吐く炉と燃える松明が二つに切り裂か

れた動物の間を通り過ぎた」。主が契約を破るならばこれらの獣のように切り裂か

れること、血みどろになるという脅かしを引き受けた、そのような真剣さでアブラ

ハムに、「あなたの子孫に、この土地を与える」という約束をされたというのです。

契約は「人間の共同関係に対しての最強の保証をするもの」です。

 主イエス・キリストの父なる神はこのようにわたしたちと「契約」してくださる

お方です。それは、契約のために並べたものをねらう禿鷹を追い払い、深い眠りに

さそわれ、大いなる暗闇の恐怖に襲われるアブラハムとの間に燃える松明をもって

交わされるものであるとともに、また、今や、主は「新しい契約」をもってわたし

たちの大いなる暗闇を通り過ぎてくださいます。しかも、十字架の上でご自身の血

と肉を裂き、また三日目に復活されてご自身を示す、このいのちのしるしをもって

結んでくださるのです。信仰の人アブラハムの前にこのように最強の保証をもって

真実を示される主なる神がおられます。
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